深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

そこかしこに権力/令和問わず語り・116

「そうか」と。
鍋奉行ではないが、仕切る人は権力志向、いや、権力なのだと気づかされた。
放っておいたほうがいいことでさえ、あれこれと。
ゆとりがないのか。
声の大小にかかわらず、立ち去るほうがいいよ。

▲『フリーベンチ』(写真)
「ご自由にお持ちください」の本。
雨と、カラスのいたずらがなければ、手にしたかった。

▲『寛ぐ』(写真)
のんびりしようと、公園へ。
ビル・フリゼールモグワイ裸のラリーズ踊ってばかりの国を少しずつ聴いた。
背中側に陽射しがあたり、汗が。
それでももう、秋。

www.youtube.com【ふいに/今日も少しだけ】
 老いを体感中だ。
 いくら若ぶっても、「嘘だよな」と。

 例えば、脚力の衰え。
 相変わらず自転車に乗っているが、いつまで乗れるのか。

「何とかならないかな」
 そう感じている折、どうしたわけか、ふいに訪れる言葉がある。
 それも、10代のころ出逢ったフレーズがやって来るのだ。
「あはは」

 相変わらずか。
 過日は、「あきらめるんだ、あきらめられないと」という言葉が訪れた。
 目の男、大杉栄氏の言葉か。

 10代のころ、本はいつも手元にあったが、アフォリズムに惹かれていた。
 知識・知恵もなく、あ、それは今でもそうなのだが、箴言は即、発見に結びつき、記憶に刻まれたのだろう。

 全体よりも、戦闘的な断片性のほうが、入ってきたのである。
 当然か。

 今でも、アフォリズムには惹かれる。
 10代のころの読書体験が影響しているのだろう。

 それにしても、「あきらめるんだ、あきらめられないと」なんて、巧いことを言うものだ。
 今のわたしに、そうした大切なことが息づいているかどうかは別にして。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今日あたりは寒い。
 北側の部屋にいるからだろう。
「からだを動かしていくしかないかな」

 佳き日々を。