「そうか」と。
鍋奉行ではないが、仕切る人は権力志向、いや、権力なのだと気づかされた。
放っておいたほうがいいことでさえ、あれこれと。
ゆとりがないのか。
声の大小にかかわらず、立ち去るほうがいいよ。
www.youtube.com【ふいに/今日も少しだけ】
老いを体感中だ。
いくら若ぶっても、「嘘だよな」と。
例えば、脚力の衰え。
相変わらず自転車に乗っているが、いつまで乗れるのか。
「何とかならないかな」
そう感じている折、どうしたわけか、ふいに訪れる言葉がある。
それも、10代のころ出逢ったフレーズがやって来るのだ。
「あはは」
相変わらずか。
過日は、「あきらめるんだ、あきらめられないと」という言葉が訪れた。
目の男、大杉栄氏の言葉か。
10代のころ、本はいつも手元にあったが、アフォリズムに惹かれていた。
知識・知恵もなく、あ、それは今でもそうなのだが、箴言は即、発見に結びつき、記憶に刻まれたのだろう。
全体よりも、戦闘的な断片性のほうが、入ってきたのである。
当然か。
今でも、アフォリズムには惹かれる。
10代のころの読書体験が影響しているのだろう。
それにしても、「あきらめるんだ、あきらめられないと」なんて、巧いことを言うものだ。
今のわたしに、そうした大切なことが息づいているかどうかは別にして。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「さてっと」】
今日あたりは寒い。
北側の部屋にいるからだろう。
「からだを動かしていくしかないかな」
佳き日々を。