深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

幸せな老後?/老道・207

幸せな老後?
人生がもうすぐ、終わりだというときに、成立するのか、どうか。
というより、死が幸せとでも?
ちなみに、何が起きるのか分からないだけに、予断を許さないとはこのことかと。
老後の幸せも遠い。

※今日も見た。
「幸せな老後」という言葉。
あはは、もうすぐ死ぬってときに、幸せなら、死の苦痛は、一方で深まるばかりではと。

▲『冬へ』(写真)
緑が消えていく。
代わりにモノトーンの世界へと。
春がすでに、待ち遠しい寒さ。

www.youtube.com【老いて失っていくもの/今日も少しだけ】
 老いて、まずは失われていくのが身体機能と言っていいのではないか。
 結果、どうなるか。
 社会性を、失っていくのだろう。
 出歩くことがなくなれば、当然か。
 要は、人や町、施設や情報などとの接点がなくなるのだ。

 情報だけでは、空気を味わえない。
 これは大切だろう。

 記憶も失っていく。
 脳にしろ、内臓と考えれば、当然か。

 家族もまた、物理的に失われていく。
 諍いは起き続けるからだ。

 かくして、生きていく自信も、なくなってしまう。
 これは、こたえるだろう。

 そうした中、それでもなお、失われるだけの人生にしないためには?
 失ったものではなく、今、あるものを肯定的にとらえる云々との意見。
 わたしには、ときに、「なんじゃらほい」と思えるのだったが。

 そもそもが無一文だったという認識。
 そのほうが、現実的抵抗力になるのではないのかと。

 そうして、品に近い、開かれた自負のような意識があれば、他者と接点はできるのではなかろうかとも。
 つまり、社会性をはじめ、記憶、家族、何より生きていく自信もまた、発生し続けるのではというわけだ。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「かっこいいな」】
 昨日、貼り付けたトレイシー・チャップマンの昔の唄が、あらためて賞をとり、注目されているそうだ。
 それにしても、今日貼り付けた映像では、髪にはすでに白いものが。

 とはいえだ。
 独りスクッと立ち、歌う姿にはやはり、「かっこいいなあ」と。

 この人は、決して叫ばなかったなと。
 静かな熱。
 いろいろなことが伝わってきたのだったが。
 佳き日々を。