歯科医院の待合室。
「小さく、細かく待つことの連続だな」と想っていた。
定期クリーニングが怯えながら進行、何とか終わる。
会計で、またしても待っていた。
「待つことで人生はできているな」とあらためて。
www.youtube.com【死んでいくとき/今日も少しだけ】
オーストラリアの看護師に、ブロニー・ウェアという人がいるそうだ。
ネットで視ると、こうもあった。
数年間、緩和ケアの分野で働いており、人生最後の12週間の患者のケアを行ってきたという。
死に際のひらめきを、『インスピレーションとチャイ』というブログに記録していたとも。
注目を集めたので、その観察結果を、『死につつある人のトップ5の後悔』という本にまとめたらしい。
こう書いているそうだ。
「後悔していることや、別の行動をすることについて質問されると、共通のテーマが何度も浮かび上がってきました」
何か。
切実なだけに、紹介したい。
1)他人が私に期待する人生ではなく、自分自身に忠実に生きる勇気があればよかったと思います。
2)こんなに頑張らなくてもよかったのに。
3)自分の気持ちを表現する勇気があればよかったと思います。
4)友達と連絡を取り合っていればよかった。
5)もっと幸せになればよかったと思います。
なるほど、人生の最後に痛感しているのだろう。
では、後悔したまま、死んでいったのか、どうか。
そう痛感しても、ついには受容し、旅立ったのだろうか、分からない。
ただ、今、生きている人々にとっては、教えにはなるのだろう。
「こうならなければいいんだな」という。
わたしは、想っていた。
「別にいいんじゃね」
後悔まみれで死んでいくこと。
「それでいいのではないのか」というわけだ。
後悔で解放されたっていいのではというわけだ。
後悔のない人生など、そもそも、ないだろう。
だから、言葉で、どう乗り越えていくのかと。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「さてっと」】
身心疲弊の日々。
「いやあ、大変だものなあ」
佳き日々を。