「寛容という差別」という言葉と出逢った。
「そ、そうかあ」
今こそ寛容が求められているのに、手ごわい視点だ。
要は、上から目線というしゃらくさい姿勢があるというのだった。
確かに、寛容の罠はあるなと。
www.youtube.com【ググってみた/今日も少しだけ】
最近、思わず、ググってしまった言葉。
エゴサーチにドンズバ、コンサバである。
エゴサーチとは、インターネットの検索エンジンやSNSで自分の名前を検索して、評判・評価などを確認することとか。
「何だかな」
では、ドンズバとは?
いくつか出てきたが、「これ以上ないくらいぴったり」といったあたりか。
最近よく聴く、コンサバとは?
「無難」、「保守的」といったあたりだろう。
すでに日本語として定着しているのか、どうかは知らない。
ただ、流通はしているのだったが。
かつて、「ドゥンケルは、ドイツ語で暗いという意味を持つが、何故、ドゥンケルとわざわざ言うのか、暗いと言えばいいではないか」といった文章を読んだことがある。
「そうだよな」と。
「格好つけるなよ」というわけだ。
とはいえ、言葉は生きている。
ドゥンケルとしか言いようがない感受性もあったのだろう。
とはいえ、わたしはできれば、使いたくないだけだ。
今はもう、うっかり積み重なっていく未読の本を、味読していきたい。
そう気づいたとき、どうしたわけか、先の言葉等々を一挙にググったのだったが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
身心にこたえる賃労働から帰還。
「明日は歯医者以外、のんびりするか」
佳き日々を。