深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

死はそこかしこに/死を想う・68

人は死ぬ、普通の日々にも。
決してあってはならない事態として。
誰しもに死への契機はあるが、順番はない、容赦ない。
実は奇妙な日々の、普通の出来ごとなのだろう。
そうしたことを想起する日々にも死はある。

▲『ぶれる』(写真)
チャリで走りながら撮れば、ぶれる。
帰宅後、その中で、ここに貼り付けられるようなものを選んだ。
眺める愉しさ。
痛快だった記憶が、少し、そう、ほんの少しだけ甦る。

www.youtube.com【打ちひしがれて/今日も少しだけ】
 善意は踏みじられる?
 確かに。

 例えば、募金を呼びかける組織があり、お金が、組織の幹部の懐へ、ちゃっかり。
 結果的に善きことが、悪につながってしまう場合もあるのだったが。

 昔から、「今だけ、金だけ、自分だけ」というわけか。
 もちろん、今・金、そうして自分は大切なのだったが。

 ただ、どうなのか。
 ヴェトナム戦争時、それによって潤う日本に対して、一部の若者たちは、反旗を翻した。
 要は、傷ついたのである。

 そのことを、ふと想い出していた。
 加齢か。

 いや、無意識で覚えているのだったが。
「なっちゃねえよな」と呟く。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/」さてっと」】
 嫌な感じは続く。
 もの心ついてから。
「いやはや」
 佳き日々を。