深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

縁側のほうへ/介護時代・11

認知症であっても食べて出す。
しかも、眠るのだった。
大いに笑うし、あられもなく泣きもするうえに怒るのである。
当たり前のことだ。
できれば、縁側に腰掛け、陽射しを愉しむようなときが流れていくといい。

▲『倒木』(写真)
「あらま」
 とても他人ごとには想えない。
 それにしても、放置されていても怒られないのは、いいものだ。

www.youtube.com【帰還する場所/今日も少しだけ】
 二度童子(にどわらし)という言葉と出逢った。
「へえ、巧いことを言うものだ」

 どういうことか。
 AIが応えてくれた(改行適宜)。
 >老いて無垢な童に還り、再び好奇心に満ちた新たな人生を生きる人のことを指します。
 また、認知症のお年寄りの世話をしているときに「二度童子」という言葉を聞くことがあります。
 幼児と同じように手がかかるという意味です。

 こうもあった。

 >東北地方のある地域では、このようなお年寄りのことを「おじいちゃん・おばあちゃんは、子どもにかえってしまったんだなぁ~」というので、二度童子といっているところがあります。

 ある地域とはどこか、今は突っ込まない。
 先を急ぐ。

 子どもと想えば、介護の困難さを、少しは軽減してくれる?
 現実は、そう巧くはいかないのだろうが、ヒントにはなる。

 いずれにせよ、人間が子どもに帰る。
 ふと、『アルジャーノンに花束』という物語を想い出したのだった。

 人は、いずれ死ぬ。
 そのとき、意識がはっきりしていると、逆に恐怖等々で、困るのかも知れない。
 いや、実際のところは、体験するまで分からないが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 帰宅後、寝入ってしまった。
「賃労働の疲れかな」
 佳き日々を。