認知症であっても食べて出す。
しかも、眠るのだった。
大いに笑うし、あられもなく泣きもするうえに怒るのである。
当たり前のことだ。
できれば、縁側に腰掛け、陽射しを愉しむようなときが流れていくといい。
▲『倒木』(写真)
「あらま」
とても他人ごとには想えない。
それにしても、放置されていても怒られないのは、いいものだ。
www.youtube.com【帰還する場所/今日も少しだけ】
二度童子(にどわらし)という言葉と出逢った。
「へえ、巧いことを言うものだ」
どういうことか。
AIが応えてくれた(改行適宜)。
>老いて無垢な童に還り、再び好奇心に満ちた新たな人生を生きる人のことを指します。
また、認知症のお年寄りの世話をしているときに「二度童子」という言葉を聞くことがあります。
幼児と同じように手がかかるという意味です。
こうもあった。
>東北地方のある地域では、このようなお年寄りのことを「おじいちゃん・おばあちゃんは、子どもにかえってしまったんだなぁ~」というので、二度童子といっているところがあります。
ある地域とはどこか、今は突っ込まない。
先を急ぐ。
子どもと想えば、介護の困難さを、少しは軽減してくれる?
現実は、そう巧くはいかないのだろうが、ヒントにはなる。
いずれにせよ、人間が子どもに帰る。
ふと、『アルジャーノンに花束』という物語を想い出したのだった。
人は、いずれ死ぬ。
そのとき、意識がはっきりしていると、逆に恐怖等々で、困るのかも知れない。
いや、実際のところは、体験するまで分からないが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
帰宅後、寝入ってしまった。
「賃労働の疲れかな」
佳き日々を。