「今、ここにすべてがある」
そう言い切れるほど、思考を突き詰めてはいない。
ただし、遠くへは行かなくてもいい身体性にはなっているのだった。
何より、家計の事情もある。
今・ここで十二分な暮らしを想う。
▲『木肌』(写真)
季節は変転していく。
樹木の表面を視ても、感じる。
それにしても、「すでにして5月も後半かあ」と。
www.youtube.com【ポール本人さえ誤解を?/今日も少しだけ】
図書館で、リサイクル本を手にしてきた。
『ビッグイシュー』(vol.423)である。
スペシャル特集は、ビートルズ。
バンド後期の不仲説を覆す内容である。
ポール自身、不仲だったと想っていたようだ。
すごいことである。
当人もまた、情報に感化されるとは。
その中に、次の言葉が。
「全楽曲を合わせてもおよそ10時間分しかないバンド」
「あっ」と。
確かにそうなのだろう。
その10時間分しかない音楽が、何と多くの人々に聴かれ、意識を変えて来たのだろう。
わずかと言っていいのか、どうか、分からないが、10時間分の時間が何と、数え切れない豊かな時間に結びついて来たのだろうかと。想うのだった。
今も、宝ものとしての時間を生み出す音楽。
時間を超えているとさえ想うのだったが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「テレビ三昧かあ?」】
『虎に翼』という朝ドラを見ている。
通勤に間に合うのだった。
時間を知るために、何となく見始めたのだが、『ちゅらさん』、『あまちゃん』以降、久しぶりに面白い。
「あ、ここが、時代の限界性か」
さまざまな想いが飛来してきている。
小道具として、あの『改造』という雑誌も出てきていた。
それはそうとして、テレビ番組でいえば、『季節のない街』も見ている。
複数のテレビ番組を追いかけるなんて、何十年ぶりのことか。
原作は、あの山本周五郎氏。
「クドカンって、なかなかだよなあ」
佳き日々を。