深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

感謝だなんて/この領土で・755

感謝とは何か。
謝、つまりありがたいと感じているというわけか。
想う、この国の為政者に謝を感得してきたことはなかったと。
尊を、敬を感じたことも。
寂しいものである、人の生命がないがしろにされ続けて。

▲『緑の中へ』(写真)
あはは、あはは。
暑いぞおっ。
脳に来るぞおおおっ。

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【いろいろな人がいるものだ/今日も少しだけ】
 過日観た映画『もったいないキッチン』。
 そこで知ったのが、昆虫食の方である。
「いろいろな方がいるなあ」

 昆虫食。
 とても美味しいそうである。

 ラーメンなど、格別だとか。
 食してみたい気も、少しだが、ある。

 実は、国連でも昆虫食を推奨しているのだそうだ。
 食糧難の暗雲。 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 自給率の低い日本なら、昆虫食は、真剣に考えたほうがいいのだろう。
 蜂の佃煮など、今でも売られている。
 今後、昆虫食が一般食となるのか、どうかは分からない。

 食べないでも生きている方が本を書いていた記憶がある。
 が、餓死との関係が、分からない。

 どもあれ、美食は大切だが、今後も続けられるとは限らないのだった。
「どうなるんかなあ」

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「えっ?」】
 今日、ふと、想い出していた。
 9・11のときのことだ。

 欣喜雀躍とした高齢者がいたという。
 実は、この日本に。
「ざまあみろ」と跳ねたそうだ。
 凄いことである。

 そうして、今日、次の言葉も何十年かぶりで想い出していた。
「本来、可変的な敵を、自己陣営に転化し得なかった自己の無能の証明」
 確か、『死霊』を書いた作家の言葉だ。

 今日のニュース。
 単なる驚きはなかった。
 戦争をはじめ、いやな感じを証明するかのような事態が、次々に起きてきたからか。
 今後は、もっと大きくて見えない力が、蠢いていくのだろう。

 今夜は久しぶりに呼吸法を試したのだったが。
「明日もするか」
 それでもなお、佳き日々を。

人を知らない/地域へ・1

現実には逢ったことがないものの、知っている人。
一方で、近隣の市井の人の多くは知らないでいる。
あまたのメディアの影響下にあるのだった。
であるならば、余計に注意深くならなければと。
選挙へは、行く。

▲『裸族、登場』(写真)
裸。
気持ちは分かる。
「ただなあ」と。
長袖を着ていたほうが、からだにはいいかも。
いっそ、皮膚を脱ぎたい?

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【今、話し出さないと/今日も少しだけ】
 マネーの分配ゲームが続いている。
 概ねロクなものではない。

 国が、人々を守るわけがないのは、先の大戦で証明されている。
 今後も、そうなのだろう。

 仮に野党が政権を奪取したら?
 利権で喰ってきた連中が、命がけでジャマをしてくるだろう。
 現にそうだったのだから。

 野党が力不足?
 あはは、その発言、お呼びではない現状だ。
 とどのつまり、困るのは、そうした現実通の子どもたちなのだから。
 巻き添えはご免だが、そうも言っていられない今だ。

 誰かが言っていた。
「経営層が何故、今、何も言わないのか」と。
 保守派でさえ、そう感じているのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 利権で動く国。
「たまらないよなあ」

 佳き日々を。

続けよう/天下のヨーガ野郎・10

簡単なヨーガのポーズをときおりしている。
股関節が硬くなり難儀になってきたが。
ただ、教室へ通うと、「腰痛は股関節を柔らかくするといい」などの知恵を得られる。
肩こりには腕を広げるポーズ。
続けよう。

▲『もう食べられるんじゃあないのか』(写真)
緑の花。
満開か。
「もう食べられるよな」

www.youtube.com【3つほど/今日も少しだけ】
■浮草。
「いい言葉だな」
 そう想うときと、真逆に感じるときが。
 言葉というものの側面か。

■ウェブで、いつでも読める。
 結果、しっかり調べず、分かったつもりに。
 ついには、考えないことにも。
 とにかく、調べることが簡単にはなった。
 次から次へと、事実という名の主観的な意見も読めるのだった。
 いいときもあれば、やばいときもある。

■それにしても、対中という言葉。
 どうなのかなと。
 事実、お客さまとして、助けられている事実はあるのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あ、そうなるか」】
 耳と口の王。
 聖。
「そういうことか」
 佳き日々を。

何処?/身体から・205

人は概ね半径2、3m内で活動をしているかのようだ。
賃労働に調理、掃除、果ては瞑想にいたるまで。
その先は体感していない、できない?
かつて想像力という言葉を知った。
身体・心・脳の一体化の先はどこ?

▲『個人』(写真)
暑い中。
読書をする人がいた。
涼風が何気に吹いてきていた?

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【対話をと/今日も少しだけ】
 人は、人を叩けるのか。
 実際、叩いている現状なのだが。

 具体的な暴力もさることながら、ウェブ上では、汚い言葉が跋扈している。
 罵倒等々だ。

 いわゆるネトウヨの連中の発信しているものを読んだ。
 与党の某女性議員のように、平気で嘘を言っていた。
 いや、嘘の自覚もない?

 読んだことを後悔した。
 会話どころか、対話への意志さえ感じられない認識不足としか言いようがない言葉。

 わたしは、想う。
 生涯にわたって、つき合える人の数は、限られている。
 だから、せめて、対話をと。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 一段落すれば、また艱難辛苦が始まる賃労働。
「眠いなあ」

 佳き日々を。

意識しても/令和四季派・17

「あぢ~っ」
ダラダラしかねないのだった。
が、「えいっ」とばかり動き出したほうが得策のときも。
そのほうが、コントロールできない部分を意識できるのだった。
意識し、どうなるものではない人の生死だが。

▲『自転車を止めた』(写真)
ひと呼吸入れたかった。
だいぶよれて来た自転車だ。
が、まだまだ乗れる。
新車を買ったほうがいいときもあったが、愛着がある。

www.youtube.com【「きゃっ」/今日も少しだけ】
 もはや座席をぶん取るのが、当たり前の様相か。
 電車内の優先席だ。

 わたしは、今夏69歳になるのだった。
 賃労働のため、毎日、乗車をしている。
 ただ、始発駅を利用しているので、並んで待てば、座ることが可能だ。

 ある日のこと。
 優先席に座ろうとした。
 すると、どどっと追い抜かれ、若い人に座られてしまったのだったが。

 あはは、「間抜け」と言われてしまう時勢か。
 もちろん、そうした人々ばかりではない。
 が、さすがに、たまげたのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「そ、そうだったのか」】
 昨日も近隣の大学へ。
 無料公開講座を拝聴するためだ。

 テーマは、「なぜ阿弥陀堂より御影堂のほうが大きいのだろうか?」。
 考えたこともなかった。

 結論は、教えを聴聞するスペースとしての御影堂。
 その後、随喜となり、念仏をとなるのだが、そこは阿弥陀堂となる。
 要は、スペースの目的が影響しているというわけだ。

 知らないことだらけだなと。
 まったくもってして。

 佳き日々を。

狭量さ/老道・184

加齢で、できなくなることは多々ある。
その中でも留意したいことが。
例えば、滑舌があやしくなる点。
何より避けたいのは、人の話を聴けなくなってしまうことか。
要は狭量さには注意していこうというわけだ。

▲『曲がり角』(写真)
東京・渋谷である。
「こんなところもあるんだな」
曲がり角の、その先にも、緑。
「いいなあ」
緑道が続いていた。

www.youtube.com【出逢っていこう/今日も少しだけ】
 珠玉のような人──。
 そうした言葉と出逢った。
「ううん、いいなあ」

 ただである。
 ただ、問題は関係か。

 どんなにいい方であっても、周囲が阿呆ばかりでは、くすむだろう。
 その逆もあるか。

 ただ、極悪人は確かにいるのだ。
 と同時に、珠玉のような人もまた。

 大切なことを求めるのなら、まず己にか。
 そうでなくてはいけないなと。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「危険な暑さの中、だべさ」】
 金曜日夜、先輩たちと、久しぶりに食事を。
 談論風発、啓発される話をさまざまにうかがった。
 自由な雰囲気が身心に注入されたのである。
 それこそが、大のつく収穫だったか。

 昨日は、朝一番で屋外プールへ。
 井戸水プールで知られてもいるのだが、「あらま、ぬるいな」と。
 この猛暑だ、「仕方ないか」。

 その後、近隣の大学へ。
『女性と修行』をテーマとした無料公開講座を聴きに行ったのである。
 聖なる場所に、女性の修行者は入れない。
 そのくせ、荷物を運ぶ女性の強力(ごうりき)は入っていた…。
 仏教とジェンダー、差別というより区別の在り様に疑問を呈する内容でもあったのだが、「ううむ」と。
「いい気なものだな、修行だなんて」と痛感を。

 さてっと。
 今日もまた、昨日同様、動くかと。
 それにしても、宮谷一彦さんの死は悔やまれる。
 佳き日々を。

疎外感/当世労働者覚書・148

賃労働から逃れられない日々。
続けるために大切なことは?
要は、やったかいがあったかどうかだろう。
渇いた喉を潤す如く、成果が伝わっていくといいのだったが。
そうでなければ、疎外感はさらに募るばかり?

▲『親亀の背中に』(写真)
♪親亀の背中に子亀を乗せてえ
子亀の背中に孫亀乗せてえ
孫亀の背中にひい孫亀乗せてえ
親亀こけたら
子亀孫亀ひい孫亀こけたあああっ
ま、ひと言で、「親亀こけたら、みなこけた」。
みたいなニッポン・チャチャチャ?

▲『妙な塔』(写真)
緑の上。
妙なものがニョキニョキと。
東京タワーに対するような想い入れはないなあ…。

▲『板に願いを』(写真)
星ではない。
板にだ。
多くの人たちが願い、祈っていた。

www.youtube.com

www.nicovideo.jp【今日も少しだけ】
■実はあれこれに、手を出していきたい。
 そうでないと、狭まっていくからだ。
 とはいえ、日々、賃労働に追われる高齢者なのだったが。
 それでもなおと。

■ゆるんできた。
 だらしなくもなってきたなと。
 加齢だけではないか。
 実際、わたしと同年齢でも、具体的にも比喩的にも走っている方はいる。

相倉久人さんは、持続力に重きを置いてはいなかった。
 むしろ、スパッと切ってしまうほうが、難しいと。
 確かに。
 もちろん、人によって違うのは分かる。
 が、今のわたしにとっても、持続よりも難しいのは、切断か。
 そも、持続は工夫で何とか凌げるケースもあるのだから。
 いい加減とも言えるか^^。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「えっ?」】
 合掌。
 久しぶりの休みに訃報。
「まいったなあ」

 宮谷一彦さんが亡くなったというのだ。
 新聞にも訃報が。
 これには驚いた。

 以前、記したことを再掲したい。
 こうだ。

 ■マンガ、中でも、宮谷一彦氏の存在は大きい。
 単独の単行本が出たときは、書店へ慌てて出向いたはずだ。
 とにかく、10代のころ、ロックと並び、リアルだったのがマンガである。
 ■最近、宮谷氏の描いた『ライクアローリングストーン』(フリースタイル)が初の単行本となったときには、たまげたものだ。
 ディランのノーベル賞には、それほど驚かなかったものの、何が起きたのかと。
 ■著者には、高校生のころ、お話をうかがったことがある。
「迷惑だったろうなあ」と。
 頭部打撲で入院、無事に退院できた後だったか。
「君は君の場所でがんばるといい」
 そう言われた記憶が、半世紀以上経っても明確にある。
 まだ井戸が設置されたアパートでのことだったと想い出す。
 ■今もなお、新作を待ち続けているマンガ家の方なのだった。
 矢作俊彦氏との対談では、描いていると言っていたが、その後、どうなったのだろう?

 新作は読めなくなったというわけか。
 どうなのだろう…。
 合掌を幾度も。
 佳き日々を。

やり残し/死を想う・51

『今日は死ぬにはもってこいの日』という書籍があった。
が、今日も、もってこいではないのだが。
理由?
やり残したことに想いは至ったのだった。
が、誰だって、いつだって、どこでだって、やり残すのだろう。

※ウェブで調べると、まだ発売されているようだ。
 版元は、めるくまーる。
 ネイティブ・アメリカンの考え方を紹介していた記憶がある。

▲『特等席』(写真)
今のわたしには、何よりの席だ。
ゆっくりできる椅子もいい。
が、今はここだ。
席が、場所と密接不可分なところがいい。

www.youtube.com【子どもじみていていいさ/今日も少しだけ】
 敵同士。
 いつまでも、終わりが視えず、対立し合っていていたとする。

 仮にトップ同士が論じ合ったとしよう。
 そこでだ。
 いい方向へいったことが、過去にあったのだろうか?

 浅学につき、知らない。
 覚えがないだけか。
 それならいいのだったが。

 互いに銭湯に入り、マッサージでもし合えば?
 そうしたことが必要なのかも知れない。

 あり得ない?
 そう、子どもじみた発想だ。

 が、そうでもしないと、もう治まりなど、望めないのではないのか。
 そう想う。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「屋外かあ…」】
 いよいよ7月か。
 今日から、屋外プールが開始されているはずだ。
 この2年、寂しい想いをしてきたものだ。

 佳き今日を。

何かをするわけではないが/自転車にのって2022・1

今はチャリ徘徊を愉しんでいる。
ただ、今朝、想い出していた。
「人間には2種類しかいない。オートバイに乗る人間と、そうでない人間の」といった言葉を。
だから?
特に何かをするというわけではないけれど。

▲『寛ぐ』(写真)
チャリで寄った。
「これで、コロナ禍や戦禍、国の瓦解がなければなあ」と。
麦茶をガブガブと飲める季節に突然、なった。

▲『道なき道を』(写真)
歩いた場所。
道が明確になっていたわけではない。
とはいえ、歩いた。
それだけで、愉しかったものだ。

www.youtube.com【未完のままで/今日も少しだけ】
 向上したいとは想っている。
 例えば、太極拳
 支えは、「(太極拳も)下手な人のほうが長続きする」といった師匠の言葉だ。

 巧くなろうとして、練習を続けるというわけである。
 もっとも、諦めてしまっては、元も子もないが。

 問題は、仮に向上しても、終わりではないといったあたりか。
 向上は、さらなる向上を求めている。
 要は、終わりがないのだった。

 まるで人生のようだ^^。

 あ、人生は終わってしまうが。
 息を引き取るまでは、あれこれ続いていく。
 人生の終わりのとき、未完のあれこれも了となる。

 せめて、煩悩からは、逃げられればいいのだけれども。
 どうかなあ…。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「そうだよなあ」】
 太極拳
 確か、天地創造の舞い・両性具有の舞いといった言葉がある。

 前者はともあれ、後者は実感・体感しているのだったが。
 つまり、可能性を感じているのである。
 まるで貼り付けた唄のように。
 佳き日々を。

足音/彼女・45

自分だけ辛いと想っているのだろうね。
それはそうだ、辛いのだもの、他の誰でもない自分自身が。
ただ、それぞれが辛い事情を抱えている。
そこからこそ伝え合うことは始まるのではと。
足音になるはずなんだ。

ヴァルター・ベンヤミンは記したそうだ。
「夜のなかを歩みとおすとき、助けになるのは橋でも翼でもなく、友の足音だ」
 学生時代、しびれた記憶がある^^。

▲『寺』(写真)
座禅会をしている寺だ。
が、もう長く座っていない。
再開しようとも想ってもいないのだった。
ただ、自宅ではしようと想っている。

www.youtube.com【無知な者として/今日も少しだけ】
「すべてのことは、距離の問題」
 この言葉と出逢ったのは、いつのことか。
 若いときだろう。

 もちろん、距離だけではない。
 ただ、断言の魅力はあるのだった。

 ふと、「無知と非知は違う」との言葉も想起を。
 無知は、単なる、もの知らずなのだろう。
 非知は、一定程度の博識となって、知の鎖を超えた場所か。

 わたしは相変わらず、無知のまま、距離がつかめないままだ。
 弱く力のない己から、立ち上がっていくしかないのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「すんごいなあ」】
「あぢ~っ」
 どうなってんだか。
 梅雨の大雨も困るが、今から、この暑さでは、困る。
 夏を超えられるのか、どうかと。
 そうした声も多い。

 佳き日々を。