休日の夜、疲れを取ろうと温水プールへ出向く。
驚くほどの空きようだった。
ついには1人となり、監視員のほうが多いのだったが。
遠慮気味に歩いて、泳ぎ、浮く。
退場するとき、思わず深々と頭を下げていた。
【放射能について/今日も少しだけ】
チェルノブイリ。
あらためて、あの場所について想っていた。
あの災禍を。
実は、ロシア兵が塹壕を作るため、作業をしていたら、被爆したとかいう記事を読んだからである。
「えっ?」と。
何だか、遠い昔に読んだ記憶なのだが、ともあれ、やばいに決まっているではないか。
ダメに決まっている。
が、したようなのだ。
兵士は今、生きているのだろうか?
肉親や家族は、どうしているのだろうかと。
『朽ちていった命/被曝治療83日間の記録』 NHK「東海村臨界事故」取材班(新潮文庫) という本を手にしたときのショックを、想い出しもしていた。
内容紹介を、そのままコピペして、貼り付けておきたい。
こうだ。
1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。
核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく、83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった―。
「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に朽ちていく体。
前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。
人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント。
身の毛がよだつとは、このことかと。
写真を視て、たまげたのだったが。
一方、チェルノブイリで、土を掘った兵士たち。
いくら何でもと。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「少しだけ」】
いつものように、眠い。
が、もう少しだけ起きている。
処理すべきことがあるのだった。
佳き日々を。