5月だというのに、肌寒い日だった。
カリカリの天ぷらとともに、熱いうどんを啜ろうかと。
食べ始めて、ほどなくすると気づかされた。
汗が出ていると。
身体もまた、確実に夏へと向かっていると体感していた。
【「家はあるかい?」/今日も少しだけ】
連休中、普段は視られない長めの映画を視ようかと。
そこで、『ノーディレクションホーム』も視た。
ボブ・ディランのデビュー当時から、オートバイ事故以降、何年間か、ステージに立たなくなったころまでのドキュメント映画だ。
映画製作時のディランにインタビューして、映像がかぶさったりしながら、実証する方法か。
実は、3回目なのだった。
が、案の定、すっかり忘れていた。
ディランは、嘘つきである――。
極上の。
本当のことは、核心を突くカタチで伝えていく。
だから、本当のことがより、リアルに迫ってきたのだろうか。
そうしたことを、何となくだが、想っていた。
トラディショナルのメロディーを、今の音や言葉で歌う。
その手法で、心に余計残るのだろうと、映画でも指摘されていたが、「実際、そうなのだろうな」と感じてきた。
それにしても、アレン・ギンズバーグの、「師とは、自らを超える弟子を持つ者」だの、誰かの、「やさしさがかえって、人を殺す」たの、アフォリズムのオンパレードだったか。
ホテルに入ることを断られて、そのときできたのが、『船が入ってくるとき』だった等々。
エピソードも面白かった。
ジョーン・バエズに、画面を通じて、謝罪するシーンも記憶に残っている。
ディランは言った、「愚かでなければ、恋はしない」。
いやあ、罵倒や非難、面倒なこととよくつき合っていたものだと、あらためて感じていた。
オートバイ事故を起こして当然?
いずれにせよ、生き延びた彼の言葉を想い出していた。
こうだ。
「カントリーには死の問題など、学ぶべき点が多々ある」
確か、『ナシュビルスカイライン』を上梓したときの発言ではなかったか。
「あらためて、聴いてみるとするか」と、今、感じている。
どうか、今日も、ご無事で。
わたしが中学生のときのことか。
つまり、大昔、北山修氏が、宮谷一彦氏の劇画なども含め、紹介していたテレビ番組があったのだった。
それにしても、ディラン。
もう長い聴き手となってしまったなと。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「いい映画だったな」】
昨日、友人が勧めていた、『素晴らしき哉、人生!』を観た。
大昔観て、「今、観るとどうなのかな」と。
図書館から借りて観た感想は、ひと言。
「いいなあ」
要は、自分がいなくなったらどうなるかという展開なのだが、スピード感があって、まったく古くない^^。
名優が演じた因業な町の有力者は8000ドルを隠匿したけれど、こらしめない終わり方。
気にはなったが、それはまあ、「哀れな奴」ということで、いわゆる大目にみてあげるかと^^。
もっとも、11兆円の行方をばっくれている手合い等々は、「大目にみるわけにはいかんぜよ」とも。
現実だものね。
佳き日々を。