深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

夏へと/身体から・201

5月だというのに、肌寒い日だった。
カリカリの天ぷらとともに、熱いうどんを啜ろうかと。
食べ始めて、ほどなくすると気づかされた。
汗が出ていると。
身体もまた、確実に夏へと向かっていると体感していた。

▲『歩いた』(写真)
いい感触だった。
足裏が喜ぶ。
「あはは」

▲『ダンス』(写真)
太極拳天地創造の舞い」
そうした言葉があった。
「大袈裟だな」と^^。
ただ、「両性具有の舞い」との言葉も。
こちらには、「なるほどなあ」と。
面白がれたものだ。
ところで、休日。
賃労働を途中で放り出したものだ。
「やってられっか」というわけだ^^。
で、チャリ徘徊を。
すると、1本の樹木と出逢えた。
何とも奔放に舞っているのだったが。

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【「家はあるかい?」/今日も少しだけ】
 連休中、普段は視られない長めの映画を視ようかと。
 そこで、『ノーディレクションホーム』も視た。

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 ボブ・ディランのデビュー当時から、オートバイ事故以降、何年間か、ステージに立たなくなったころまでのドキュメント映画だ。
 映画製作時のディランにインタビューして、映像がかぶさったりしながら、実証する方法か。

 実は、3回目なのだった。
 が、案の定、すっかり忘れていた。

 ディランは、嘘つきである――。
 極上の。

 本当のことは、核心を突くカタチで伝えていく。
 だから、本当のことがより、リアルに迫ってきたのだろうか。
 そうしたことを、何となくだが、想っていた。

 トラディショナルのメロディーを、今の音や言葉で歌う。
 その手法で、心に余計残るのだろうと、映画でも指摘されていたが、「実際、そうなのだろうな」と感じてきた。

 それにしても、アレン・ギンズバーグの、「師とは、自らを超える弟子を持つ者」だの、誰かの、「やさしさがかえって、人を殺す」たの、アフォリズムのオンパレードだったか。

 ホテルに入ることを断られて、そのときできたのが、『船が入ってくるとき』だった等々。
 エピソードも面白かった。

 ジョーン・バエズに、画面を通じて、謝罪するシーンも記憶に残っている。
 ディランは言った、「愚かでなければ、恋はしない」。

 いやあ、罵倒や非難、面倒なこととよくつき合っていたものだと、あらためて感じていた。
 オートバイ事故を起こして当然?

 いずれにせよ、生き延びた彼の言葉を想い出していた。
 こうだ。
「カントリーには死の問題など、学ぶべき点が多々ある」

 確か、『ナシュビルスカイライン』を上梓したときの発言ではなかったか。
「あらためて、聴いてみるとするか」と、今、感じている。

 どうか、今日も、ご無事で。

 わたしが中学生のときのことか。
 つまり、大昔、北山修氏が、宮谷一彦氏の劇画なども含め、紹介していたテレビ番組があったのだった。

 それにしても、ディラン。
 もう長い聴き手となってしまったなと。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「いい映画だったな」】
 昨日、友人が勧めていた、『素晴らしき哉、人生!』を観た。
 大昔観て、「今、観るとどうなのかな」と。

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 図書館から借りて観た感想は、ひと言。
「いいなあ」
 要は、自分がいなくなったらどうなるかという展開なのだが、スピード感があって、まったく古くない^^。

 名優が演じた因業な町の有力者は8000ドルを隠匿したけれど、こらしめない終わり方。
 気にはなったが、それはまあ、「哀れな奴」ということで、いわゆる大目にみてあげるかと^^。

 もっとも、11兆円の行方をばっくれている手合い等々は、「大目にみるわけにはいかんぜよ」とも。
 現実だものね。
 佳き日々を。