病を得てしまった人が身近に。
すると初めて心の声を伝えるのは、何故?
共感して欲しいのだろうか。
弱さが連帯の基盤にあるのなら首肯せざるを得ないのだった。
いっそ病なき場所で横溢して欲しいのだったが。
【ダメでもいいんじゃあないのか/今日も少しだけ】
お金に恵まれず、殺されてしまう。
表現者の基準?
「どうかな」と想う。
逆の、風変わりな選民意識ではないのかと。
突破していく表現者は大切だという前提で、そう想うのだった。
そも、転向しないためには、しぶとく、見破られず、何より生き延びていくことが大切ではないのか。
痛めつけられたり、家族に意図的な不運が訪れたり、明日を奪われたりしても、こけるだろう。
が、何よりきついのは、人々からの遊離だ。
それこそ、転向の肝と喝破した方の意見に、異論を差し挟むつもりは、今もない。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「いやはや」】
民謡も、笑いも、皮肉も、抵抗も奪われていくばかりの中。「さてっと」と。
ダメなままの起死回生を考えていくしかないのだったが。
佳き日々を。