いつも感じる。
やはり現場に行かなければならないよなと。
そうでなければ、感じ取れない領域があるのだ。
例えば、苦笑や微笑、爆笑等々。
ふいに漏れてくる肯定的文脈は、画面越しでは体感できないのである。
【祖先として生きていく/今日も少しだけ】
近隣の仏教関係の大学が主催する日曜講演会に、参加してきた。
演題は、『グッド・アンセスター/私たちはいかにしてよりよき祖先になれるのか」。
講師は、話題の松本紹圭氏。
仏教の2階建て状況論など、興味深く拝聴を。
例えば、お寺離れと、その一方の仏教ブーム、その背景にある家離れなど、「なるほどね」と。
いずれにせよ、先祖ではなく、祖先として今、どう生きるべきかと問うていたのだった。
現在生きている人間の数、そうして過去に死んでしまった人たちの数。
地球がある限り、それらをすべて足しても届かないほどの膨大な数の人々が今後、産まれて生きていくことを思えば、「そうだよなあ」と。
ネイティブ・アメリカンの視点と相似形をなしているか。
お話をうかがっていて、ウェブ時代の坊さんがいよいよ出てきたかと。
宇宙船地球号を体感しているのだろう。
いろいろな試みもしているようだ。
講演中、最近の働く若者たちのストレスが多大といったようなことも発言していた。
とはいえ、今日の参加者の多くが高齢者であり、死がより身近になっているだけに、これまたストレスは多大だろう。
マイナス要因としてのストレスに着目すれば、「そこにもまた、サバイバルの隘路はあるのかもな」と。
どうか、今日も、ご無事で。
www.youtube.com【追記/「へえっ」】
上のほうに貼り付けた唄。
今朝のラジオでかかっていた。
人を驚かすのが好きなんだろうな。
「まさか、ディランがこんなことを」と思わせてきたもの。
この映像では、マンガのようなイデタチで、あはは、踊ってみせたりもしている。
佳き今日を。