深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

わたしもにんじんだった/令和問わず語り・100

子どものころ、醤油ビンを持たされた。
酒屋へ醤油を買いに行かされたのだ。
夜の闇が怖かった。
「いつになったら、怖くなくなるのだろう」
闇がいつしか、「あっ、怖くない」となったことも、今、想い出した。

▲『美味しそうとは思わなかった』(写真)
馬鹿な考えだった。
そもそも、鳥を視て、「美味しそう」とは感じない。
調理されたものを視て、感じるのだ。
調理さまさまか。

www.youtube.com【公園はいいなあと/今日も少しだけ】
 いつのころからだろう?
 街へ行くことが、うとましくなっていた。

 出ても、店ばかりである。
 先立つものがないことも、影響しているのだろう。
 面白いとは想えないのだった。

 もちろん、それだけではない。
 消費だけの自分に、「何だかな」と。
 古本屋でさえ、脚が遠のいたか。

 では、何処へ?
 図書館にプール、公園か。
 稀に食堂へも行く。

 そもそも、公園にいて、自分で入れたコーヒーのほうが、美味しいのだったが。
 爪を切る愉しみもある。

 ただ、ヘッセの庭や、ランボーの居酒屋、ドストエフスキーの教会でもあれば、覗いてみたい。
 辻潤のライブハウス、大杉栄の語学教室なども。
 
 店に出向いても、感動はない。
 いや、ある。
 高価なものが、安価で売られたときか。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 コロナ禍、街から離れるばかりだった。
 が、特に苦痛はなかったと想う。
 それまでにしろ、コロナ禍の日々のように、街には居座っていなかったのである。
 佳き今日を。