深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

とんでもない世の中だ2023/老道・209

尊厳、ましてや自負とも遠いやっつけ仕事になるしかない介護の現状。
怒って当然だし、呆れ、おかしくもなるのだろう。
交渉のテーブル自体、脚が欠けている。
倒れるばかりだ。
が、放置しておけば怖いことに。

▲『秋色』(写真)
ようやく散り始めていた。
「今年は、遅いな」
寒い日々に散るとは。

▲『そこらじゅうに』(写真)
輝きを失っていた落ち葉。
「晴れの日にまた、来るかな」
そう体感していたのだった。

www.youtube.com【笑いをおさえる/今日も少しだけ】
 忍耐力。
 いろいろある。
 悲しみや痛みなど、耐えるしかないときがあるのだった。

 では、愉しいことでは?
 これまた、耐えるしかないときがあるのだった。
 例えば、笑いをこらえるとき。
 葬儀のとき、喪主が、脚のしびれから転ぶなど、場所が場所だけに、笑いたくても耐えていくしかない。

 が、できれば、いつでも、どこでも、笑いたいときは、笑えるといいのかも知れない。
 いや、違う?

 そんなことはない。
 耐えてこそ、いつか、呵々大笑できるのではないのかと。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「もっともっと聴きたかったなあ」】
 大昔、南正人氏が、立教大学のホールでコンサートをしたことがある。
 その前座で出ていたのが、上に張り付けた方。

 聴いたこともないようなギター1本のフレーズに、即、しびれたものだ^^。
 当時としては、画期的なオープンチューニングなども試していたのではないのか。
 ただ、音盤を手にしたとき、「何だかな」といったアレンジで残念だった。
 が、長く聴いてはいたのである。

 そうして、とても長い時間が経過し、2枚目の音盤を出したという。
 珍しくコンサートへ行こうと、あれこれ探した。
 が、亡くなったとのこと。
 とても残念だった。
 合掌

 佳き日々を。