深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

宙ぶらりんな想い/彼・142

率直な意見を、何となく聴いていた。
「人生に意味はない」と彼は淡々と言うのだったが。
わたしにスイッチが入り、想わず応じていた。
「いいではないか、それで」
意味という病も悪くないが、良くもないなと。

▲『座る』(写真)
「寝るより楽はなかりけり」
そう言われている。
確かに。
このときは、どうだったか。
「ベンチに座り、熱いコーヒーを飲むより、楽はなかりけり」だったなと。

www.youtube.com【言葉についての今日/今日も少しだけ】
 過日、言葉はデジタルと記した。
 とはいえ、それだけではない。

 そもそも、マナー・エチケット・ルールが守られた場所で、お互い交わしあえば?
 生き生きとした事態になっていくのだろう。
 罵倒や呪詛、非難などの言葉にしろ、力があるのだったが。

 関係によっては、同じ言葉でも、意味が変わってしまうということもある。
 ニュアンスが命というときもあるだろう。

 そうした言葉を使って、わたしたちは暮らし合っている。
 言葉も、爽やかな呼吸同様であって欲しい。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「凄いなあ」】
 映画『ぼけますから、よろしくお願いいたします。』を視た。

www.youtube.com 図書館から借りたのである。
 痛切で、喜ばしくも、哀しく、天晴れな映画だった。

 ドキュメンタリー映画である。
 認知症となった母親が、自分を邪魔者と体感し、死にたくなるシーン。
「健康ではなく、病を当然のものとして、生を考え直さないと」と痛感していたのである。
 身心に刻まれる映画だったか。
 佳き日々を。