母親が死んだとき、言われた。
「がんでよかったですね」
一瞬、「えっ?」と。
その後、反発する気持ちが。
長く覚えている言葉だが、「確かに」と、今にして想う。
いわゆる介護地獄を生きていた人の言葉だ。
www.youtube.com【もしものときに…/今日も少しだけ】
過日、近隣の大学へ(上掲写真参照)。
無料の講座を聴きに行ったのである。
テーマは、『もしもの時に』。
「私たちの心に何が起こるか、どうすればいいか」ともチラシにあった。
要は、事故や災害、犯罪被害に遭ったときの、人の反応や経過を詳らかにするというのだった。
そうして、何ができるかを伝える講座だったのである。
印象的だったのは、性被害に遭ったとき。
人は、抵抗しない、できないという。
「抵抗しなかったのだから、合意」は成立しないというのだった。
例えば、2メートルもの大男に襲われたとしよう。
講師の「男でさえ、抵抗できないことを想像してみて欲しい」との言葉に、思わず、「そうだよなあ」と。
その他、印象的な言葉を。
「治療の目的は、思い出を忘れることではなく、自由に語れること」
「非現実感から、幽体離脱のケースも」
「犯罪被害から心を守るために、なかったことにする対応もある」
そもそもが、逃げたり、闘かったりなどできず、凍りつくのだという。
嫌なことがあっても、「ノー」とは言えないのだと。
反応しない、興奮・否認などの経過もあるのだそうだ。
「やらせろ」のひと言で。
苦笑したのが、「テレビ番組で、愛する人が死んで、すぐ取りすがって泣くシーンは、リアルではない」といったような発言。
即、泣けるのは、距離がある人というわけである。
思い当たるのだった。
一連のデマゴーグで、「泣けない、泣いていないわたしは、おかしい」と思い込んでしまうケースもあるとのこと。
が、泣かないのは、ノーマルな反応と。
トラウマなどの治療は、そうした一連のことを知ってもらうことにもあるという。
「そうだろうな」と。
「生存を助ける、痛みの効用」という言葉にも、「なるほど」と。
痛みがなければ、ケガなど、見落としてしまうとも。
ちなみに、試験会場では、役立たない緊張をしてしまう。
リラックスのほうが、試験本番には役立つのだったが、本来、緊張すべき事態であり、その二律背反への指摘にも、「なるほどね」と。
ともあれ、安心した日々のためにも、症状が軽減し、日常生活が平安に続いていくことが望まれるというわけだ。
そのとき、ポイントとなるのは、衣食住や睡眠・入浴という。
これまた、「なるほどなあ」と。
感想しては、「マスとしての戦争のPTSDや、昨今の無茶な国家運営下でのダメージについても、聴きたかったな」といったあたりか。
増えているのだから。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「あらま」】
気づけば30日。
今年も、後少し。
明日も、賃労働なのだったが。
「ま、いいさ」
佳き日々を。