ルールやマナー、エチケットやモラル。
閉じ込めるのでなければ、大切だ。
基本は、本人の体調、からだの調べにあるのだろう。
そうでなければ、どれもこれも遠い。
不協和音もまた、いい調べのときがあるのだ。
▲『ひえええっ』(写真)
今日は、平日である。
が、人出が存外あった。
コロナは大丈夫なのだろうか?
www.youtube.com【幸せにもいろいろな顔/今日も少しだけ】
ギョッとする言葉と出逢った。
こうだ。
「幸せにも耐えられる」
まるで宮沢賢治氏。
確かに、今、幸せなことには、申しわけなさがつきまとう。
いや、昔からか。
「幸せに傷つく」といったような言葉を、何人かの言葉で知っている。
痛めつけられることさえ、望んだのだ。
たとえ、滅茶苦茶にされても。
そうした感受性があったことを、今、言ってもムダなのか。
ムダであれ、記しておきたい。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「よく動いたなあ」】
今日は、賃労働が休み。
結果、朝からよく動いた。
まずは、整形外科へ。
腰に電気を当てたのである。
それから、図書館であれこれの資料を借り受ける。
いったん自宅に戻り、納豆・イカの塩辛もつけたソーセージ定食を作って、ササッと食べた。
「よっしゃ」
口をゆすいでから、またしても飛び出し、近隣の公園までチャリ徘徊。
切り株の上で、熱いコーヒーに今川焼きを。
「至福だべさ」
暗黒太極拳を軽くかましたり、プールで桜を眺めつつ水中おちゃらけ歩行をしたりも。
夜には、高齢者100円ヨーガ教室で、「いやあ、気持ちがええなあ」と。
佳き日々を。