深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

嬉しいこと/身体から・241

列に加わる、志を同じくする人々の。
いい言葉だなと体感した。
大量虐殺が、すぐには終わらないことへのストレス。
列に加わり異を唱えれば、発散できるからではない。
使命や快感でもなくて、単に嬉しいのだ。

▲『切り株』(写真)
「おっ」
切り株はさまざまに変化してくれる。
まず、椅子に。
テーブルにもなる。
ときに、枕にもなってくれるのだった。
嬉しい。
木にとっては、たまったものではないのだろうが。

www.youtube.com【暮らしを作る/今日も少しだけ】
 週末になると、オートバイや自動車でキャンプへ行っていた時期がある。
 コロナ禍以降、ご無沙汰なのだったが。

 長く行っていたことでもあり、当時のことを、ときに想い出す。
 最近では、メンバーの中に、清潔感にあふれる青年がいたことを想起していた。

 同じように焚き火にはあたっていたから、衣服ににおいが染み付いていたはずだ。
 が、微塵も感じさせない雰囲気だったのである。

「ああ、そうか」と。
「彼のような人が、収容所でも生き延びていくのか」

 規則正しく暮らすことが、生き延びていくために大切だと、ナチス関係の書籍で読んだ記憶があるのだった。
「まさに彼だよな」
 その排他的ではない清潔さから想い出したのである。

 そもそも、収容所では、暮らしが奪われているのだろう。
 にも関わらず、暮らしを成立させていくことが、彼にはできたのだった。

 そのことを、今、強く想い出している。
 よれてきているだけに。
 身心のチューニングを想うばかりなのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 何やら、だるい。
 眠いし、腰痛もある。
 何とかしないとと、今日もまた^^。
 佳き日々を。

セクハラまみれ/言葉・269

セクハラは気づかないうちに?
例えば、女医・女子アナがアウトなのは、当然か。
「ご主人の仕事は?」なる問いも、また。
ご主人という言葉が変だし、職業差別ならぬ、区別も。
解体という言葉を想起していた。

▲『一服』(写真)
本日は、チャリ徘徊を。
「一服つけるか」
雑木林の中、土の上に座り込んでいた。

www.youtube.com【女言葉だってさ/今日も少しだけ】
「女言葉のやわらかさ」という文脈の記事を読んだ。
「あっ、なるほどな」

 いわゆる敬語や罵倒語は使わないというのだ。
 例えば、「やめろ」という命令の言葉は使われず、むしろ、「やめて」という懇願の言葉が使われるというのである。
「それなら、人との距離も程よく、争いも起きにくいか」

 が、つけあがるのが、男である。
 仮に、「やめて」と言われたりしたら、逆にのぼせあがって、やってしまうケースもあるのではないか。

 男言葉は、奇妙に熱を帯びて敬ったり、隙あらば罵倒したりなど、日常的か。
 いわゆる、おかま言葉には学ぶべきことが多いのだと、気づかされた。

 悪質な法改正ばかりする為政者たちだが、この際、「男は女言葉を使い、女は男言葉を使うべし」といった方向で、法律を作ってはどうか。
 するわけはないが、もしそうなったら、少しは笑える時間を過ごせる?

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 ちなみに、雑木林とは、「木材用でも鑑賞用でもないような広葉落葉樹が(色々と)生えている林」とのこと。
 木々は焚き火になるし、わたしにとっては鑑賞の対象でもあるのだったが。

 ともあれ、雑木林の中にいると、呼吸がしやすくなるのだった。
 嬉しいものだ、それだけで。
 佳き日々を。

浮き足立つ/唄・109

悩み多き恋の唄。
つまり、浮き足立っていることに変わりはないのだろう。
どれほど複雑な歌詞やメロディー、リズムを持っていたのだとしても。
ラブソングだけでなく、唄自体、浮き足立つ領域があるのだったが。

▲『エレベーターの中』(写真)
大雨の予報のとき。
自転車置き場から、別の場所へ移動させた。
自転車のタイヤは、磨り減っていない。
まだまだ乗っていきたい。

www.youtube.com【介護の暗黒/今日も少しだけ】
  介護職の人と話していた。
 国を訴えたヘルパーたちのことから、その意義等々まで。

 そもそも、医者のように、エビデンスに基づいた結論へは結びつかないのではと。
  何せ、ライブそのものだからだ。

 現在、流通している理念は、1対1が前提ではないのかとも。
 が、現実は、お金の問題があるのだった。

 そもそも、在宅支援と言っておきながら、訪問介護の基本報酬が引き下げられたのだった
「おいおい」と。
 ふざけた話である。

 いざ使おうとなったとき、介護職が圧倒的に足りなくなっていて、面倒をみてもらえないとの予測がすでに出ているのだった。
「いやはや」

 死が近い年齢になったとき、どうにもならない身心を抱える人々ばかりの国。
「やばいよなあ」
 そもそも、希望が奪われたのである。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 明日は、賃労働が休みである。
「あれこれ、やることばかりだなあ」
 佳き日々を。

食べること/暮らす愉しみ・27

最近の愉しみ。
広々とした公園を目指す途上に小さなちいさな店が。
売りものは、団子と今川焼きだけだ。
明るい婆さんが独りでさばく。
そこで、買いものをし、味わうために、ひたすら公園へ向かうのだったが。

▲『林の中へ』(写真)
元気なとき、この場所を目指す。
すると、さらに元気に。
疲れているとき、この場所へ出向き、元気を取り戻したいのだったが。

www.youtube.com【囲い込み/今日も少しだけ】
 障がいのある人。
 概ね、同情を寄せられている。
 
 戸惑ってしまうが、聖人君子化の傾向もあるという。
 意味不明の、いや、分かりたくないだけの囲い込み。

 要は、自らの美点を証明するための存在。
 そうしたことに、出遭ってきた。

 一部の機能が損なわれているだけなのに、まさに特別扱いか。
「う~ん」

 隣人でいいのではないのか。
 戦禍・戦火で生き延びようとしている人々と同様。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 よく眠った。
 疲れが、少し引いていたものだ。
「眠っているとき、快を体感できればいいのに」
 まだまだ眠りたい。
 佳き日々を。

戦争の身体/身体から・240

美しさを見せよう、顔だけではない。
どのように?
姿勢や歩行法、あるいは佇み方等々、人の動きの領域で、いくらでも可能ではないのか。
気取りとは縁遠くできればいいのだったが。
戦争の身体とは離れたい。

▲『どっちへ?』(写真)
チャリ徘徊時。
「さて、どっちへ?」ということがよくある。
言葉で考えず、身体が考えているのだ。
しかも、一瞬のうちに。
このときは、右へ。

www.youtube.com【またしても/今日も少しだけ】
 また、出遭った言葉。
「被災地のジェンダー

「また」というのは、東日本大震災のとき、すでに出遭っていたからだ。
 それも、嫌な話題ばかりを聴かされた記憶がある。

 要は家事・育児・介護等々、女性がさせられているというのだった。
 そこに、押し寄せてくる性暴力。
 剥き出しな状況の中、頓馬な連中の性暴力というか、性権力というわけだ。

「バカ野郎だぜ」
 段ボールの力は知っているが、被災者には酷だろう。
 国家もまた、性の無謀さの一翼を担っているのだったが。

 どうか、今日も、どこまでも、ご無事で。


【追記「さてっと」】
 明日は、くつろぐ。
 そう決めている。
 佳き日々を。

加えて欲しい言葉/老道・220

LGBTQという言葉。
そこに、老いも入れていいのではないのか。
事実、差別どころか、区別されているのだから。
今でも、高齢者がアパートを借りられない事実があるのだった。
当事者として届いて欲しいと。

▲『待ち伏せていた春』(写真)
チャリ徘徊時のことだ。
信号機で止められた。
「あっ」
花が咲き、春の到来を告げていたのである。
寒くはあったのだけれども。

www.youtube.com谷口ジローを読んでいる/今日も少しだけ】
 最近、谷口ジロー・コレクションという重たくて、大きい本を図書館で発見。
 借りてきては、読んでいる。
 さすが、なかなかにいい。

shogakukan-comic.jp 以前、読んでいたが、『欅の木』、『遥かな町へ』、『冬の動物園』、『歩く人』など、あらためて読み、「いいなあ」と。
 変化・進化の具合も響いてくるのだった。

 フランスなどでも人気だそうだ。
「あっ、そうか」と。

小津安二郎氏のファンならしびれるんだろうな」と気づいた次第だ。
 もちろん、関川夏央氏との『事件屋稼業』もなかなかだったが。
 時折、探偵が放つ、現実を抉る箴言には、しびれたものだ。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今日は、賃労働が休み。
「ただなあ」と。
 歯科医院へ行くのだった。
 佳き日々を。

寛容もまた…/言葉・268

「寛容という差別」という言葉と出逢った。
「そ、そうかあ」
今こそ寛容が求められているのに、手ごわい視点だ。
要は、上から目線というしゃらくさい姿勢があるというのだった。
確かに、寛容の罠はあるなと。

▲『雲よ2024』(写真)
空を視た。
「おっ」
圧倒的形・色、そうして動きだった。

www.youtube.com【ググってみた/今日も少しだけ】
 最近、思わず、ググってしまった言葉。
 エゴサーチにドンズバ、コンサバである。

 エゴサーチとは、インターネットの検索エンジンやSNSで自分の名前を検索して、評判・評価などを確認することとか。
「何だかな」

 では、ドンズバとは?
 いくつか出てきたが、「これ以上ないくらいぴったり」といったあたりか。

 最近よく聴く、コンサバとは?
「無難」、「保守的」といったあたりだろう。

 すでに日本語として定着しているのか、どうかは知らない。
 ただ、流通はしているのだったが。

 かつて、「ドゥンケルは、ドイツ語で暗いという意味を持つが、何故、ドゥンケルとわざわざ言うのか、暗いと言えばいいではないか」といった文章を読んだことがある。
「そうだよな」と。
「格好つけるなよ」というわけだ。

 とはいえ、言葉は生きている。
 ドゥンケルとしか言いようがない感受性もあったのだろう。
 とはいえ、わたしはできれば、使いたくないだけだ。

 今はもう、うっかり積み重なっていく未読の本を、味読していきたい。
 そう気づいたとき、どうしたわけか、先の言葉等々を一挙にググったのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 身心にこたえる賃労働から帰還。
「明日は歯医者以外、のんびりするか」
 佳き日々を。

手と手/身体から・239

母子で手をつなぐ場面こそ、美しいと想ってきた。
今は違う。
もちろん、美しいのだが、もっと幅があっていいと。
想わず手を差し出し、手を取り合うこと。
関係に限らず、今もまだ、切実に求められているのだ。

▲『富士さま』(写真)
帰宅して、狭いベランダへ。
「あっ」
富士さまがうかがえたのである。

www.youtube.com【人は人を/今日も少しだけ】
 ウェブで出逢った言葉。
「平等に不公平」
「あはは、そうだよな」と。
 不公平こそ平等な世知辛い日々は、続いているのだった。

「不安定な雇用では、明日を描けない」
 この言葉にも、「ううむ、確かに」と。
 先の言葉と通じているのだろう。

 今や、多くの人々が、無意識に絶望を感じているのではないか。
 いや、わたしは、か。

 戦火・戦禍が続く。
 今日も人は殺し、殺されている。

 生きていることが恥ずかしい時代。
 いや、昔からか。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 眠い。
 が、すべきことがまだまだ。
 佳き日々を。

「痛い」/身体から・238

生きるとは、何か?
まずは、身体を動かしていくことなのだろう。
動かせなくなったときが、死なのだから。
ならば、「痛い」といえども、何とかしていくしかない。
横になりながら、立ち上がっていくのだった。

▲『ほいほい』(写真)
春だ。
が、相変わらず寒い。
北側の部屋にいると、冷え切る。せめて、
陽射しのもと、花を愛でようかと。

www.youtube.com【言葉というメディアこそ/今日も少しだけ】
「おいといください」
 大和言葉だそうだ。

 いたわり、大事に想う気持ちがあってこその、言葉か。
 いい言葉だと想う。
 が、すでに耳にしない。

 残念?
 仕方ないと言ったほうが、当たっているか。
 今には今の言葉があるのだから。

 ただ、同じ意味なら、まろやかな感覚を忘れないためにも、大和言葉を少しは使ってもいいのかなと。
 いや、大和言葉を知らないわたしが言うのも、おかしな話だが。

 言葉というメディアこそ、無料の財産。
 そう、想ってきたのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あらま」】
 アップし忘れていた。
「やべっ、とうとう来たか」
 佳き日々を。

プロって?/身体から・237

当然のことだが、誰もが初めは素人。
ただ、始めた途端、行き着いたかのような人も。
いずれにせよ、気づいて人は変化をしていく。
仮に熟練しても素人の感覚を忘れていいのか、どうか。
つながっていくために。

太極拳の師匠が言っていた。
「下手なほうがいいのです」
 理由は、どこにあるのか?
「すぐに上達してしまう人は、やめてしまうから」

▲『富士さま』(写真)
先日の富士さま。
「へえっ」と、「スゲッ」の両方の感覚が同時に訪れた。
しばし、嬉しく呆然と。
「写真を撮るかな」

www.youtube.com【読んだ/今日も少しだけ】
 想い出したことがある。
 父親の納骨式のときのことだ。

 老いた檀家総代の親族が、墓場で立ち小便をしたのだった。
 みな、驚いたものだ。
 母親は当然として、実は私も。

 が、誰も咎めるようなことは言わなかった。
「仕方ねえなあ」と、「あれでいいんだよな」といった場所の雰囲気。
 大昔のことである。

「出物腫れ物所嫌わず」
 そう言うではないか。

 超のついた高齢社会。
 大切なことなのだろう。
 満員電車での脱糞は困るけれど。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「何だかすげえな」」】
『隆明だもの』ハルノ宵子・著(晶文社)を読んだ。
 吉本隆明氏の長女が記している。

www.shobunsha.co.jp  夫婦間の葛藤が、結果的に壮絶な家族・家庭となっていく要因だったのである。
 が、「よく分からねえなあ」と。

 とはいえ、親への愛というか、深い想いは伝わってきた。
「そこを基点とした論評なら、読みたいな」と感じ入った次第である。
 佳き日々を。