深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

寿ぐ/令和四季派・36

暖かいだけで、「ありがてえよな」と。
浮かない、いや、沈むしかない状況下だもの。
暖かいことが、これほどまでに嬉しいのかと。
そのうちまた、辟易とする暑さがやって来る。
が、今は、寒くないことを寿ぐ。

▲『愉しき渋滞』(写真)
 桜が満開である。
 自動車も、心なしか、おっとりと。
「1年中、何かの花が咲いていればなあ」

www.youtube.com【「読まずに死ねるか」②=昨今マンガ事情=/今日も少しだけ】
 最近、新聞ガミの記事で、齋藤なずな氏が紹介されていた。
 超高齢社会の文脈で、登場していた記憶がある。
 早速、興味を持って、検索をしたが、目当ての作品はなかった。
 ただ、『千年の夢』(小学館)がヒット、借りてきて、一読を。
 作家たちの恋愛を描いていて、「へえっ」と唸った。
 ちなみに、解説は、呉智英氏。
 簡にして要を得るとは、このことかと。
 相変わらずの皮肉にも、笑った。

『健康で文化的な最低限度の生活』柏木ハルコ・著(小学館)も、読み続けている。
 生活保護と反社の絡みなど、「ううむ、マンガは凄いな」と。

 終わってしまって残念なマンガもある。
 介護問題を描いてきた『ヘルプマンくさか里樹・著(講談社、のちに朝日新聞出版)である。
 今こそ、大切なのではないか。

 マンガの編集部を描いた『重版出立!』松田奈緒子・著(小学館)も面白かった。
 いくらでも続けられると想うのだったが。

バガボンド井上雅彦・著(講談社)は、いいところで休載中である。
 何とか、完成して欲しい。

 その他、『信長協奏曲石井あゆみ・著(小学館)の新刊は、いつ出るのか、知りたい。
 どうなるのかと。

 まだまだ、ある。
 明日にしよう。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 日曜日。
 学生時代の友人たちが集まった。
 死んでしまった友を偲んだ。
 そうして、かつ屈託なく笑い合い、話し込んでもいたのである。
 佳き日々を。

「こんにちは」と「今日は」/親子・6

まだ歩行の定まっていない幼児が、わたしのほうへ寄って来た。
そうして、笑う。
思わず、「あっ、こ・ん・に・ち・は」と伝えた。
背後の母親も笑顔になり、「今日は」。
すると、幼児が、拍手をしたのだった。

▲『小さな幸運』
 信号待ちの、「ラッキー」。
 それだけ桜並木を愉しめるものね。
 爺さんがチャリでチンタラ走っていたが、その後ろのほうから、自動車がつけるようにのろのろ運転をしていた^^。
 桜にアイデンティティなんか求めてはいない。
 ただ、春の知らせは、「やっぱいいよな」。

www.youtube.com【「読まずに死ねるか=昨今マンガ事情=」①/今日も少しだけ】
 相変わらず、マンガを読み続けている。
 面白い。

 概ね、図書館から借りている。
 これはいい。
 部屋が、狭くならないからだ。
 所有欲は、もはやあまりない。
 一部は残っているのだろうが。

「目の前にあるときが、自分のもの」との相倉久人さんの言葉。
 情報化時代、いや、情報時代の指針ではなかろうか。

 今、図書館で、借りては読み続けている作品は、次のもの。
 まず、『ブルージャイアント』石塚真一・著(小学館)。
 電車の中で読んでいたら、「これ面白いですね」と会社員に話しかけられたことを想い出した。
 話しかけてきた中年の気持ちが、よく分かる。

『詩歌川百景』吉田秋生・著(小学館)も、いい。
 他者との親和力に対して、見過ごされがちな小さくて細かいものの、大切な感受性に目をとめている。
 作者のいいところが発揮されているなと。

深夜食堂安倍夜郎・著(小学館)。
 人情噺か。
 映画にもなっているが、下手な落語より、「はるかにいいよな」と。
 いっそ、誰か、落語にしないかなとも。

 最近では、『谷口ジローコレクション』(小学館)があることを知って、図書館から借りては読んでいる。
 が、大きく重たいので、少しずつか。
 マンガは読み飛ばすものといった読書法を、変えてくれた。

 こうして見てくると、小学館のお世話になっているなと。
 白土三平氏の作品など、「随分と夢中になったなあ」と想い出したものだ。

 そうした中、検索していて、ヤマケイ文庫というのが、あるのを知った。
 あの山の専門誌を出している山と渓谷社の文庫である。
 その中に、谷口ジロー氏の作品以外にも、いろいろとあることを知って、今後の愉しみか。

 まだまだ、ある。
 明日また、追加したい。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「ふうん」】
 来日中の歌手の唄を張り付けた。
 心の修理をしてくれるそうだ。
「すごいね」

 佳き日々を。

見えにくい場所へ/唄・110

隠れていたり、見え隠れしたり。
かつ、境界線やおぼろげな領域も。
そうした場所にある、実は生きているハリ。
美しいと何故、感じるのか分からないが、そう感じたりも。
いわば見えにくいものを感じる豊かさ。

▲『歩く人』(写真)
「分かるなあ」
陽射しの届く日のこと。
姿勢のよい人が歩いていた。

www.youtube.com【老いることについて、あらためて/今日も少しだけ】
 人間だけが老いる――。
 小林武彦氏の本が評判である。

 野生の霊長類で、老いるのは人間だけなのだそうだ。
 何でも、「人間に飼われたペットも老いる」のだとか。

 要は、「老いる前に死んでしまう」からだ。
 つまり、人生の40%が「老後」とも言えるのだろう。

 だからこそ認知症やがん、老いを繰り込んだ人生観が大切かなと、ふと。
 近代・理性・生産等々だけではない、価値・意味を、どう考えていくのかというわけだ。
 当たり前か。

 ありとあらゆる領域で、壊れていくことを、繰り込んでいかないとと想う。
 もちろん、戦争による破壊は嫌だ。

 ただ、想う。
「いや、壊れていくという視点自体が、間違っている?」と。

 三木成夫氏のことも、想い出していた。
 これから、いろいろと学び直しても届かないのだろう。
 が、今日も、今夜も考えていきたい。

 どうか、今日も、ご無事で。

 なお、貼りつけた映画のワンシーンと出逢ったとき、想わず、「音盤を探そう」と。
 宗教心は特に、ない。
 図書館にあったときには、嬉しかった。
『ブルースブラザーズ』同様、気に入った映画だ。
 とぼけ具合がポップで、笑ったのだった。


【追記/「さてっと」】
 困ったことは多い。
 上が、下をこき使うのは世の常。
 が、理不尽なことには、「承服しかねるな」と。

 話は変わる。
「(詩は)伝達より提示」と読んだ。
 一理あるのだろう。
 提示を伝達しているのだったが。
 佳き日々を。

分かる/言葉・272

分からないからといって、捨てるわけにはいかない。
むしろ、いつまでも自分の中に収めておく。
分からないことが、重要な意味を持つときは多い。
何より、スッキリするには時間がかかる。
今も分かりたいのだ。

▲『春とはいえ』(写真)
 まだ肌寒い。
 暖かいほうがいい。
 早く、来て欲しい、春の暖かさの日々。

www.youtube.com【被害も加害も一緒くたに/今日も少しだけ】
 日本人。
 世界大戦のとき、どうだったのか。

 被害者であり、加害者でもあった。
 一筋縄ではいかないし、勧善懲悪のわけがない。

 戦争そのものの被害者。
 と同時に、侵略した加害者でもあった。

 あれは侵略ではなかった?
 その文脈の言説で、理解・納得できるものは、今までに出会ったことがない。

 清廉潔白だったら、よかったのにとも想わない。
 どこもかしこも、ひどい在り様だったのだ。
 一部を除き。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 眠い。
 とはいえ、夜更かしの日々か。
 佳き日々を。

騙されっぱなし/暮らし・91

暮らしがうまくいっていないと、騙しやすい――。
断言はできないものの、「そうかもなあ」と。
この国の人々を想うとき。
今ごろになり、戦争の後遺症が指摘されるようになった。
途方に暮れても、ここにいる。

▲『語らう』(写真)
 スマフォを見ながら、会話をしていた。
 会話があるだけでも、いいのだろう。
 桜の効用。

www.youtube.com【ほんまかいな/今日も少しだけ】
 朝日新聞の記者だった佐藤章氏は、石井こうき氏の件で、次のような発言を。
特別会計の闇を暴露しようとして、殺されたとも言われている。
 何故か。
 特別会計が反社勢力にも流れていたからだ。
 反社としては、ばらされたら、食い上げになるので、テロを行った」

 随分、思い切った発言だ。
 と同時に、石井こうき氏の書籍のことを少しでも知っていれば、「そうなんだろうな」と。

 実は、裏金問題で逃げた議員がいる。
「石井になるぞ」と脅されたからなのだとか。
 佐藤氏は、「言えないことがあまりにも多い」とも。

 ちなみに、元総理でオリンピックでも動いていた人は、汚れ役だったとの見立てだ。
 当然、ないがしろにはできないだろう。
 裏の裏、裏の奥を知っているのだから。

 恐ろしい時勢は続く。
 いやはや。
 生きている間に、その闇とやらには関わりたくない。
 意識しないでも、関わっているのだろうが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「雨かあ」】
 片言隻句から、見えてくることもある。
 もちろん、すべてではないけれど。

 本日は生憎の雨。
「桜、今年はどうなるのかな」
 佳き日々を。

からだの調べを聴く/身体から・244

ルールやマナー、エチケットやモラル。
閉じ込めるのでなければ、大切だ。
基本は、本人の体調、からだの調べにあるのだろう。
そうでなければ、どれもこれも遠い。
不協和音もまた、いい調べのときがあるのだ。


▲『ひえええっ』(写真)
 今日は、平日である。
 が、人出が存外あった。
 コロナは大丈夫なのだろうか?

www.youtube.com【幸せにもいろいろな顔/今日も少しだけ】
 ギョッとする言葉と出逢った。
 こうだ。

「幸せにも耐えられる」

 まるで宮沢賢治氏。
 確かに、今、幸せなことには、申しわけなさがつきまとう。
 いや、昔からか。

「幸せに傷つく」といったような言葉を、何人かの言葉で知っている。
 痛めつけられることさえ、望んだのだ。
 たとえ、滅茶苦茶にされても。

 そうした感受性があったことを、今、言ってもムダなのか。
 ムダであれ、記しておきたい。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「よく動いたなあ」】
 今日は、賃労働が休み。
 結果、朝からよく動いた。

 まずは、整形外科へ。
 腰に電気を当てたのである。
 それから、図書館であれこれの資料を借り受ける。

 いったん自宅に戻り、納豆・イカの塩辛もつけたソーセージ定食を作って、ササッと食べた。
「よっしゃ」

 口をゆすいでから、またしても飛び出し、近隣の公園までチャリ徘徊。
 切り株の上で、熱いコーヒーに今川焼きを。
「至福だべさ」

 暗黒太極拳を軽くかましたり、プールで桜を眺めつつ水中おちゃらけ歩行をしたりも。
 夜には、高齢者100円ヨーガ教室で、「いやあ、気持ちがええなあ」と。
 佳き日々を。

お天道様/令和問わず語り・132

夏の暑い盛り。
空には入道雲だったか。
ふと、視られているかのような感覚にとらわれた。
後ろを振り向き、空を見上げたが、何かがいるわけではなかったことを覚えている。
小学生で半ズボンのころの想い出だ。

▲『もうすぐ』(写真)
自転車道で出逢った。
「もう少しだな」
春である。

www.youtube.com【優越感というデキモノ/今日も少しだけ】
 優越感。
 すべて否定するわけにはいかない。

 優越感を持てたことで、生きていくことを諦めなかったケースもあるのだから。
 いいではないか、優越感も。

 ただ、わたしには、若いころ、試合放棄をした記憶もある。
 要は、諦めたのだ。
 結果、優越感は、あまり感じないですんできた。

 それにしても、優越感について、よくよく想いを馳せれば、相手をまず、認知しなければ持てないのだ。
 つまり、まずは否定ではないのである。
 その後、優越感の方向性ではなく、親和性へどう向かうかだろう。

 老いてますます、優越感とは遠くなった。
 そもそも、若いときから、吐き気だけは覚えてきて、だるかったのである^^。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「眠いなあ」】
 春である。
「眠いなあ」
 もちろん、賃労働やジジイの証でもあるのだったが。
 佳き日々を。

誰もが死ぬという/老道・222

「ここには、すべてがある」との物言い。
あるいは、「どこだって同じ」という確信を持つ人もいた。
人は長生きすれば、病を得るし、認知症にもなる。
そのうえ、誰もが死ぬ。
そこに立脚すれば、そうなのか…。

▲『開花』(写真)
桜が開花した云々。
葉の花も、また。
「いいなあ、春」

www.youtube.com【ここに立つ/今日も少しだけ】
 新聞ガミを読んでいた。
「あっ」

「聞いて書くことで、かろうじて世の中に立たせてもらってきた」
 そう、新聞記者である長沢美津子氏が書いていたのである。
『口の立つやつが勝つってことでいいのか』頭木弘樹・著(青土社)を紹介した書評でのことである。

 わたしにも、その時期があった。
 もう随分と遠い世界の感覚か。

 とはいえ、「ありがたかったのだろう」と。
 人の言葉や事例、説で、食べていたのだから。

 長沢記者は、書評で、次の言葉も書き付けている。
「能力は正当に評価されるべきだが、高さだけでいいのか」と。
 そうして、著者の、「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづける」といった言葉も紹介していた記憶がある。

 わたしは今も、なじめないまま、今いる場所の水について、ときおり発作的に考えている。
 結論からは遠い、遠過ぎる。

 なじめないことに、なじんではいない。
 吐き気がすることが続いているのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今朝の関口宏氏のニュース番組で、青木理氏が紹介していた。
 宮沢元総理の言葉である。

「武器を売るほど落ちぶれてはいない」

 そう、発言していたそうだ。
 宗主国の情報機関が作ったとも言われている政権与党の元総理の言葉。
 感銘したが、状況はまた、「やばくなっているよな」と。

 佳き日々を。

まだまだ語られていない/言葉・271

毎日まいにち、数え切れないほどの会話が交わされている。
ただ、実はね、語られていないことばかりなんだ。
今も戦火・戦禍は続いている。
「なっちゃねえよな」
そう、今朝、頭の中で鳴っている言葉があった。

▲『富士さん』(写真)
相変わらずの富士。
ひととき、見つめていた。
「刷り込まれていくな」

www.youtube.com【問題は続く/今日も少しだけ】
 火事が起きる。
 もちろん、火自体に責任はないのだろう。
 が、恨みたくもなるではないか。

 原発
 恨みどころではない。
 問題を解決できるところまで行かない限り、使用しないほうがいいのだろう。

 組織の弊害もある。
 正義と正義のぶつかり合い。

 夢や理想が単なる教義となり、人々を殺すこともある。
 困ったものだ。
 大いに、実に。

 牧歌的と想うが、田園でいいのではないのかと。
 その位置で踏みとどまるための科学はないのか。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「ううむだよな」】
 今夜、テレビを視ていた。
下山事件』の番組だ。

 人が死んだのに、理由が分からない…。
 理由を知りたいと想うのは、当然か。

 子どものころ、ケネディが殺されたと知り、驚いた記憶がある。
 その後も、長く続いている暗殺。
 都合の悪い人は殺してしまう在り様。
「どうなっているんだか」と想うが、そういうことなのだろう。

 佳き日々を。

おかしくても、おかしくなくても/老道・221

認知能力が消える。
結果、好き・嫌いや、快・不快で身心が動くといえば動くのが認知症とか。
が、事実なのかどうかは、分からない。
ふと、健常な状態でさえ、認知はあるのかと。
そも、健常自体どうなのかと。
認知症で、大便をもてあそぶ人がいる。
 好き・嫌い、快・不快の基準も変化しているのか。
 認知も、健常と言われる人で違ったりもする。
 そもそも、健常とは何か、わたしには、厳密には分からない。

▲『足もとの絵』(写真)
まるで絵のようだった。
体験できる、それ。
視ていて飽きなかった。

www.youtube.com【必要/今日も少しだけ】
 生きていくうえで、大切なことは、何か?
 そうした問い自体、大袈裟な感じがする昨今だ。
 せめて、「暮らしていくうえで」では、どうなのかと。

 衣食住。
 そうして、お金か。
 医療に福祉、あるいは教育等々、まだまだあるが。

 姿勢ということも、大切だろう。
 何より、その場所が少しでも自由と感じられると、「いいなあ」と。
 自由は恐ろしい云々の物言いは、分かるのだったが。

 そうして、ためもまた重要だろう。
 人災・災害ではない、辛く、きついことに直面したとき、体験・経験はやはり、役立たない。
 そのとき、どれほど、ためが必要かと、痛感しているのだった。

 自ら、辛く、きついところを通っていかないといけないときがあるのだろう。
 そのとき、ためがまったくなければ、超えてはいけない。
 つまり、少しは余裕がある切迫状況に、想いを馳せていたのである

 ともあれ、衣食住やお金、自由な感覚、その他諸々が必要なのだ。
 どうしても。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今日は2度、歯科医院へ。
 整形外科の診療所へも出向いた。

 自転車屋を訪ね、プールで歩きもしたのである。
 その間、手早くベーコンエッグの朝食、中華丼の昼食、餃子ライスの夕食で腹を満たしもした。
 病院疲れを取るために、熱いコーヒーを何杯か、飲んだ。

 話題のテレビ番組を視て、笑いもした。
 図書館から借りてきたDVDに感嘆も。

 前者は、『不適切にもほどがある』。
 最終回は生放送にして、実は昭和だったというオチだったら、ゾッとしたのだろうか?

 後者は、『スーパー30』。
 成功者たちの受験産業に対して、自らの出自から反旗を翻し、貧しき子どもたちに教育を施すという実在の物語のようだ。
 映画の能力主義の肯定には批判はあるが、「へえっ、こんないい映画があったんだ」と。
 ちなみに、ニコラス・ケイジ阿部寛の子どもでもおかしくはない主人公の顔を視て、「視続けるか」とパソコン画面に向かっていたのだった。

 佳き日々を。