何度でも想う、まずの徹底検査だと。
そうして、隔離ではなくて、分離ではないか。
感染したときには手厚い保障・補償。
万が一ではなくて、もはや感染して当たり前の日々。
だからか、当然のことをしないのは?
【視たぞ、視たぞ、『ゆきゆきて神軍』/今日も少しだけ】
コロナ禍に戦禍、しかも自然災害。
そうした折、「また視てみるか」と。
『ゆきゆきて神軍』である。
かつて視たとき、映画館では笑いが起こった記憶もあるのだが、昨日視て、分からないことが存外多かったかなと。
例えば、登場人物の名前。
旧姓も出てくるのだった。
わたしはてっきり、名前を変えて隠棲しているのかと。
しかし、実際は、長男は後継者ということから、次男が戦地へ行き、帰国後、養子に入って苗字が変わったということらしい。
事実経過が分かりにくいところもあった。
主人公が出過ぎてしまい、何がどうだったのか、と。
いずれにせよ、視た当時と、時代の空気が変わったということもあるのだろう。
ただ、直接性の激烈さには、「相変わらず、すげえなあ」と。
ちなみに、昨夜視て、強く印象に残ったのは、次の言葉だった。
「(戦争中にも関わらず)戦争って頭、ないよ。
生きることだけだよ」
内田樹氏は確か、「父親の世代が戦争の実相を語らなかったから、総括ができていない」といったようなことを記していた記憶がある。
実際、語れなかったのだろう。
人を殺して喰っていたことなど。
愛すべきわが子を前に、「戦争ってえのはな、下の者、弱い者、組織で疎まれる者はやられて、食べられていたんだよ」と話せるわけもない。
もちろん、すべての戦地でそうだったわけではないのだが、似たようなものか。
兵士たちの精神疾患も、取り沙汰されるようにはなっている。
一刻も早い停戦を願うばかりだ。
この期におよんで、商売繁盛の領域もあるのだろうが、停戦をと強く感じている。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「いやあ」】
賃労働。
帰宅後、軽く1杯。
「やべっ」
机の上に頭を乗せ、寝ていた。
佳き日々を。