深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

3点を中心として/令和問わず語り・136

例えば、できるだけ逃げないようにする。
できれば、自分を隠さない。
そうして、嘘を言わないように、心を砕く。
これだけのことなのに、なかなか厄介である。
が、マスコミがひどいというのなら、ここからだ。

▲『今年も出逢えた』(写真)
「おっ」
 今年も出逢うことができた。
 チャリ徘徊時である。
 タチアオイもまた、季節を教えてくれるのだった。

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▲新聞ガミで知った。
「へえっ」
 お金をかけているな。

【闘う仏教だってさ/今日も少しだけ】
 近隣の仏教系大学の無料公開講座へ出向いた。
 演題は『エンゲイジド・ブッディズム/歴史的発展 現代の事例』、演者はワッツ・ジョナサン氏。

 初めて聴いた言葉、エンゲイジド・ブッディズムとは、そもそも何なのか。
 AIによれば、こうなる。

 >1960年代のベトナムにおいて、夥しい現実の苦悩を眼前にした仏教僧ティク・ナット・ハンの提唱により広まった概念です。
 人が直面する苦しみの原因の一端を社会構造i求める視点であり、日本では「社会派仏教」「社会参加する仏教」「闘う仏教」「社会をつくる仏教」などの訳語により紹介されてきました。

 以上だが、講座では、第1期を1890年代から1949年までとし、反植民地運動としていた。
 話は、第2期の民主化運動・反戦運動、第3期の仏教的経済学、第4期の文化運動、第5期の環境問題、第6期の終末ケア、そうして未来の仏教といった具合に展開されていったのである。
 1つひとつの事例自体、興味深いものだった。
 何せ、仏教が闘うのだから。

「なるほどな」と思ったことがある。
 実は、国際社会や欧米の学者たちの間では、創価学会立正佼成会が、日本の代表的なエンゲイジド・ブッチズムとされていたという点だ。
 有名なミュージシャン等が、信濃町の信者になる由縁のいったんを知ることができたのだった。
「ううむ」

 いずれにせよ、今では、いくつかの宗派が、貧困問題や性差問題、原発問題や自殺問題、あるいは震災問題等々にも取り組み、差別・搾取がない世界への志向があるのだという。
 ホスピスに坊さんが行くと嫌がられるという話を、賃労働の際、聴いたことも思い出していた。
「そりゃあそうだよな」

 ともあれ、連続公開講座の統一テーマは、『仏教にかける期待/これからの仏教を考える』。
 また覗いてみたいのだったが、プールにも行きたいのだった^^。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あらま」】
 眠い。
 が、今夜もすることが。
 佳き日々を。