音楽を聴くことが、まだできる。
かつて、聴けない時期が続いていた。
ショックのため、絶望さえできず、音楽どころではなかったのである。
当然、言葉さえ空ろだった。
当時に比べ、「おれは今、大丈夫だ」と。
※ショックの由縁は、周囲の人々の死。
続いたものである。
▲『月下の貧乏人』(写真)
「あっ」
月が見えた。
梅雨の時季の幸運。
www.youtube.com▲グラハム・ナッシュの新譜とか。
歌詞の一部は下のほうに記してある。
【日々の暴力/今日も少しだけ】
『サンドラの小さな家』という映画をみていて、想った。
www.youtube.com「DVのダンナは加害者と同時に、被害者でもあるな」と。
この、いわゆるマッチョ社会の。
だからといって、罪が軽くなるわけではない。
当然である。
そもそも、アメリカには戦争によるPTSDの患者が多いという。
もちろん、日本にしろ。
心を病んだ日本の男が、奇妙な身体活動をする映像を見たことがある。
ともあれ、最近、ようやく口にされるようになったか。
戦争とは何もドンパチだけではない。
基本の政治や経済等もまた、戦争の構造を作っている、戦争そのものだ。
反体制派が、闘争に負けて、結果、身体に依拠していったことを覚えている。
ヨーガや太極拳、舞踏等々を学び始めたのである。
が、「問題は、そこからなんだよな」と。
ヒッピーで政治闘争をしていたのが、後年、自然食品等々へ。
中には、セミナー・ワークショップでぼろもうけした人もいる。
高校生のときジェリー・ルービンやアビーホフマンを読み、影響されたが、前者は立派な企業家になったという記事を読んだこともある。
グラハム・ナッシュの新譜では、こう歌われていた(上掲)。
♪結局のところすべて、単なるビジネスの道具(餌食と言いたいところだ)になってしまったんだ
積み上げては積み下ろし 本当にひどいものだ
崩れていく姿を ぼく自身も見てきたけれど
成長していた姿も見ていたことを、分かってほしい
いずれにせよ、アメリカのカウンターカルチャーの連中は、銀行まで作った。
が、結局のところ、戦争は止められない時間は続いているのだったが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
気づけば、日曜日早朝。
寝こけていた。
「ううむ」
佳き日々を。