介護の賃労働は大変だと理解・実感できる。
だが、もっと大変なのは、当事者でもあるのだったが。
そこからだ、ため息をつけるのは。
生きていられれば、老いていく。
嘆いたり、笑ったりできるのは、今のうち。
▲『ベンチに想う』(写真)
原っぱ公園の片隅にある、何の変哲もないベンチ。
ただ、よく見掛ける仕切りがない。
ゴロリと横になれるのだった。
ベンチに仕切りが設置されるようになった由縁を知れば、「このベンチを眺めるためにだけでも、帰路に寄ってもいいかもな」と。
今日も夕空を愉しめた。
www.youtube.com▲ジャクソン・ブラウンのトリビュート・アルバムから。
「おっ、いいなあ」
【三助のこと/今日も少しだけ】
知り合いの若い介護士が聴いてきた。
「三助って何ですか?」
記憶をたどる。
「確かにいたな」と。
AIによると、こうなる。
>銭湯で、湯をわかしたり、客の体を洗ったりする、男の使用人。
同じようなことを、説明した。
すると、若い人は、黙ってしまう。
苦労と苦痛の日々が反射的に想い出され、なおかつ小馬鹿にされたと感じたのだろう。
わたしは、伝えた。
「あはは、昔を想い出したのかもな。
いいんじゃね」
金持ちのみならず、大衆が三助を持てる。
いいことではないのか。
差別・区別する手合いは、いくら説明しても、分からないのだ。
気づいたとき、落ち込むことを祈るばかりか。
反省への一里塚。
もっとも気づけないから、差別・区別し続けるのだろうが。
壁となれば、少しでも打ち壊していくしかない。
そうも伝えたのだったが、回答にはなっていなかっただろう。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あっ、夏休みかあ」】
「うん?」
平日なのに、子どもたちが多い。
プールでのことだ。
「あっ、夏休みが始まったのかあ」
賃労働が休みだったわたしは、「これからは、9時に来ないとな」と。
朝から反省を。
「のんびり歩けないものな」
それにしても、先ほどの雷には、たまげた。
大雨にも。
佳き日々を。