深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

「ありがとう」と言われ/当世労働者覚書・168

「そうかあ」と啓発された。
賃労働に関する逸話を読んでいたときだ。
「お金を払っていただき感謝される仕事は、そうありませんよね」
2025(令和7)年問題の1つに介護がある。
彼は今日も、高齢者と笑顔に。

▲『最後ではない一葉』(写真)
「あっ」
1枚の葉が浮いていたのだ。
踊っているかのようだった。
蜘蛛の糸によって、宙に浮いていたのである。

www.youtube.com【また働く①/今日も少しだけ】
 今夏の炎天下、アルバイトで、草むしりをしていた高齢の男性を知っている。
 彼は会社員時代、海外出張もするほど、大手の企業にいた。

 そうした中、わたし自身は、どうか。
 1つの会社で、長く働いていた。
 が、賃労働の現場へ行かなくなって、しばし経過を。

 現状はどうか。
 年金だけでは、可処分所得は心もとない。
 そもそも、あれこれを考えるまでもなく、暮らせないのだったが。

 では、どうするのか?
 働く。
 国も、わたしも、豊かではないということだ。
 冒頭で記した高齢男性や、わたし同様、多くの人は、働くしかないのではないか。

 いっとき、失礼ながら、掃除のアルバイトをしている人たちに話しかけていたことがある。
「年金だけでは大変よ」、「食べられないからね」、「小遣いが欲しいわけよ」等々の言葉が返ってきた。
 中には、「2つ、掛け持ち」という方もいたことを想い出す。
「そうなんだろうなあ」と。

 わたしの場合、チンケな財産はあるものの、蓄えはほぼ、ない。
 安月給だったこともあるが、事情があるのだった。

 そうして、今。
 まだ動くことはできると、準備期間という本番の日々を過ごしている。
「もっと早く、無理してでも、辞めていればよかったな」

 どうか、今日もご無事で。


【追記/「さてっと」】
 想う。
 真の後悔は先に立たないし、実は後にも立たないものなのだと。
 人生とは後悔そのものか。

 それならばいっそ、冷静に、やけくそでいくしかない。
 そう体感しているところだ。

 佳き日々を。