「そうかあ」と啓発された。
賃労働に関する逸話を読んでいたときだ。
「お金を払っていただき感謝される仕事は、そうありませんよね」
2025(令和7)年問題の1つに介護がある。
彼は今日も、高齢者と笑顔に。
www.youtube.com【また働く①/今日も少しだけ】
今夏の炎天下、アルバイトで、草むしりをしていた高齢の男性を知っている。
彼は会社員時代、海外出張もするほど、大手の企業にいた。
そうした中、わたし自身は、どうか。
1つの会社で、長く働いていた。
が、賃労働の現場へ行かなくなって、しばし経過を。
現状はどうか。
年金だけでは、可処分所得は心もとない。
そもそも、あれこれを考えるまでもなく、暮らせないのだったが。
では、どうするのか?
働く。
国も、わたしも、豊かではないということだ。
冒頭で記した高齢男性や、わたし同様、多くの人は、働くしかないのではないか。
いっとき、失礼ながら、掃除のアルバイトをしている人たちに話しかけていたことがある。
「年金だけでは大変よ」、「食べられないからね」、「小遣いが欲しいわけよ」等々の言葉が返ってきた。
中には、「2つ、掛け持ち」という方もいたことを想い出す。
「そうなんだろうなあ」と。
わたしの場合、チンケな財産はあるものの、蓄えはほぼ、ない。
安月給だったこともあるが、事情があるのだった。
そうして、今。
まだ動くことはできると、準備期間という本番の日々を過ごしている。
「もっと早く、無理してでも、辞めていればよかったな」
どうか、今日もご無事で。
【追記/「さてっと」】
想う。
真の後悔は先に立たないし、実は後にも立たないものなのだと。
人生とは後悔そのものか。
それならばいっそ、冷静に、やけくそでいくしかない。
そう体感しているところだ。
佳き日々を。