深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

縁側へ/暮らし・93

「現代人は概ね室内にいる」
そうした記事を読む。
間抜けなことに、「あっ、そうだよな」と。
産業構造の変化等々からも言えることか。
だから何というわけではないが、開かれた縁側のある家屋を想うのだった。

▲『これだよな』(写真)
日傘に帽子、サングラスに長袖等で防備。
「これだな」
チャリ徘徊10分ほどで、焦げた。

www.youtube.com▲夏のジミヘン。
 うむ。
 暑気払いか。


【原点だなんて/今日も少しだけ】
 脈略なく想い出していた。
 大江健三郎氏は晩年、サルトル佐助について、書きたがっていたというエピソードである。
 三島由紀夫氏は大昔、大江氏を、「芥川や太宰同様、時代病を作った」と喝破し、評価したが、その時代病の根幹にあったのが、おフランスサルトル佐助だった。
 三島氏のサルトル佐助嫌いは置いておき、大江氏が出発点を意識したことを思うにつけ、原点は確かに質流れしたが、「でも、無視はできないよな」と。

 そこで、「おれの場合は何だろう?」と考えると、やはり生徒・学生時代の交通から知った人たちか。
 ベンヤミン含め、「いろいろいるな」と。

 多くのマンガもか。
 ディランをはじめとする詩でものを考える姿勢なども、「そっかなあ」と。
 そう考えていくと、いくらでも出てくる。

 何より、友人たちの発する言葉、つまり友人たちこそが、原点にあるなと。
 身体をともなった言葉だけに、影響を受けて当然か。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
「なるほど」と。
 こうだ。
「不自然な少数の反対で、法案化できない」
 その少数が、多数の国。
「恥ずかしいよな」

 次のような記事も読んだ。
 もっともっと、出てくるといい。

www.tokyo-np.co.jp この方は、何を言っているのか、実に分からない。
 分かりたくないといった領域もあるのだったが。

 佳き日々を。