いつもどこでも、前向きに歩いている。
前を向いて歩いてきたし、歩いていくのだろう。
が、後ろ向きで歩く人もいるのだった。
足跡を消しながら進んでいく歩行法というわけか。
ときに必要なことかも知れない。
※余談。
プールは愉しい。
いろいろな歩行法ができるからだ。
後ろ向き歩行も、からだが悦び、脳も、心も愉しんでいる。
www.youtube.com▲久しぶりに聴いた。
元唄は、CCR。
張り付けた2つともいいなと。
【共存のためのご法度/今日も少しだけ】
認知症の方に、ご法度のことがある。
指示・命令・禁止である。
以前も記したか。
指示しても、そもそもできない。
できないこと自体、悪いことではないのだったが。
周囲が支援できれば。
命令も、認知症の人にとっては、苦痛だろう。
たとえ口調はやさしくとも、できないことを、「やれよな!」と言われているのだから。
仮にできたとしても、時間はかかり、結果、「もっと早く」となっていくのだろう。
禁止もまた、苦痛だろう。
例えば、トイレットペーパーをいじくり回すことを、止められたとする。
が、本人にとっては、大切な任務という自覚があったとしたら?
幼い子どもたちなら許されることでも、高齢者たちには許されない。
「人生を分かっているのに」というわけか。
が、子どもたちには、未来がある。
高齢者たちには、ない。
「大目に見てやれよ」と、感じている。
そもそも、指示・命令・禁止をされたら、うんざりするものだ。
ましてや、高齢者たちの認知度は狭く、小さく、細くなっているのである。
とはいえ、身近にいれば、大目に見ることなど、困難か。
親しければ、なお一層。
だから、せめて、共に生きるのではなく、共に在る方向性が、求められているのだったが。
今・ここで。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
もっと早くに眠ろうとしていた。
が、ユーチューブで唐十郎氏のインタビューを見てしまったのである。
その後、唐氏が敬愛していた寺山修司氏の映像まで見ていたのだった。
「面白いね」
そう感じつつ、「いけね」と。
佳き日々を。