深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

後ろ向きで/歩く・69

いつもどこでも、前向きに歩いている。
前を向いて歩いてきたし、歩いていくのだろう。
が、後ろ向きで歩く人もいるのだった。
足跡を消しながら進んでいく歩行法というわけか。
ときに必要なことかも知れない。

※余談。
 プールは愉しい。
 いろいろな歩行法ができるからだ。
 後ろ向き歩行も、からだが悦び、脳も、心も愉しんでいる。

▲『座れなかった』(写真)
ゴロリとしたかった。
が、手で触れると、「あぢ~っ」。
座ることさえ、はばかれたのである。

www.youtube.com

www.youtube.com▲久しぶりに聴いた。
 元唄は、CCR。
 張り付けた2つともいいなと。


【共存のためのご法度/今日も少しだけ】
 認知症の方に、ご法度のことがある。
 指示・命令・禁止である。
 以前も記したか。

 指示しても、そもそもできない。
 できないこと自体、悪いことではないのだったが。
 周囲が支援できれば。

 命令も、認知症の人にとっては、苦痛だろう。
 たとえ口調はやさしくとも、できないことを、「やれよな!」と言われているのだから。
 仮にできたとしても、時間はかかり、結果、「もっと早く」となっていくのだろう。

 禁止もまた、苦痛だろう。
 例えば、トイレットペーパーをいじくり回すことを、止められたとする。
 が、本人にとっては、大切な任務という自覚があったとしたら?

 幼い子どもたちなら許されることでも、高齢者たちには許されない。
「人生を分かっているのに」というわけか。

 が、子どもたちには、未来がある。
 高齢者たちには、ない。
「大目に見てやれよ」と、感じている。

 そもそも、指示・命令・禁止をされたら、うんざりするものだ。
 ましてや、高齢者たちの認知度は狭く、小さく、細くなっているのである。

 とはいえ、身近にいれば、大目に見ることなど、困難か。
 親しければ、なお一層。

 だから、せめて、共に生きるのではなく、共に在る方向性が、求められているのだったが。
 今・ここで。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あらま」】
 もっと早くに眠ろうとしていた。
 が、ユーチューブで唐十郎氏のインタビューを見てしまったのである。
 その後、唐氏が敬愛していた寺山修司氏の映像まで見ていたのだった。
「面白いね」
 そう感じつつ、「いけね」と。

 佳き日々を。