父母を失ったとき、洗顔後、鏡で自分の顔を視るといい。
そこに、いるだろうから。
そう、知ってはいる。
しかし、わたしの場合、なかなか父母を探せないでいた。
が、思わず笑うことがあったとき、「あっ」と。
※よく笑う家族だったことも、想い出したのだった。
www.youtube.com【老いについて、今日も/今日も少しだけ】
鶴見俊輔氏、90歳のとき。
『もうろくの春』(編集グループ<SURE>工房)という、詩集を出している。
若いときではなく、老いてからの文学としての詩歌。
「すげえなあ」と思った。
ただ、内容がよく伝わってはこなかったのだったが。
今なら、どうか。
再読してみるか。
鶴見氏は、『老いの生きかた』(ちくま文庫)というアンソロジーも上梓している。
その中に、金子光晴氏の一文も入っていて、これが面白かった。
「経験は、人生を狭くする」
この言葉と出会えただけで、いい本だったかなと。
確か、ヴァルター・ベンヤミンは、ナチスの問題もあり、「経験知では今の状況に立ち向かえない」といったようなことも言っていた記憶がある。
「そうだろうな」と。
それと相似する金子氏の視点。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
どうしても視たいテレビ番組があった。
www6.nhk.or.jp 視て、「こう来たか」と。
あれこれと気になる人々をはじめ、事態・状況が描かれていたのである。
佳き日々を。