理想の暮らしという言葉がある。
難しいものだ。
自給自足の暮らしで引きこもっても、関係を消すことはできないからだ。
それなら、いっそ戦争を止めること。
せめて子どもたちの生命が守られるといいのだったが。
www.youtube.com▲久しぶりに聴いた。
以前、よく聴いていたのだったが。
【社会の手を借りる/今日も少しだけ】
認知症は、病気ではない。
症状という。
そうした中、関係障がいとの指摘を知ったとき。
「あっ、そっかあ」と。
仮に症状があったとしても、コミュニティがしっかりとしていて、親和力があれば、問題はあったとしても、生きる喜びは生まれるのだろう。
当事者や周囲が、第三者の手を借りたほうがいい由縁か。
長く生きていれば、脳をはじめとした内臓も朽ちていく。
認知症をはじめ、がんなど、起こってくるのだ。
そのとき、自然と手が伸びる関係があれば、仮に症状にしろ、難病にしろ、あったとしても、少しは過ごしやすくなるのだろう。
今も、いや、今こそ求められているのだった。
とはいえ、政権与党をはじめ、野党には期待などにも、できない。
わたしの納めている税金などたかが知れているが、それでも、「ふざけろ」と。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「平日の休日はいいなあ」】
賃労働が休みだった。
そこで、朝から広い公園へ。
「空いていて空気も違い、いいよなあ」
その後、はまってしまった手巻きタバコを販売する店へ。
「市販の5分の1でいいもの、助かるよな」
何と有機栽培の葉である。
プールへも。
「エリートスポーツマンでも何でもないが、プールで歩くのも厭きたと言えるほどには、通ってきたよな」
もちろん、厭きてはいない。
むしろ、愉しさが増すばかり?
図書館では、辺見庸氏が介護施設に通っているという文章にも出逢った。
驚かされる。
その他諸々、「さて、これから寛ぎの1杯でも」と。
コロナに感染したため、夏遊びはできなかった。
それでも、1杯を目の前にすれば、嬉しいものだ。
佳き日々を。