深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

せめて/戦争・48

理想の暮らしという言葉がある。
難しいものだ。
自給自足の暮らしで引きこもっても、関係を消すことはできないからだ。
それなら、いっそ戦争を止めること。
せめて子どもたちの生命が守られるといいのだったが。

▲『いたぞ、裸族』(写真)
今日、久しぶりに訪れた公園。
暑さが戻っていた。
平日にも関わらず、そこそこの人がいたものだ。
「あっ」
裸族もいたのだった。

www.youtube.com▲久しぶりに聴いた。
 以前、よく聴いていたのだったが。

【社会の手を借りる/今日も少しだけ】
 認知症は、病気ではない。
 症状という。

 そうした中、関係障がいとの指摘を知ったとき。
「あっ、そっかあ」と。

 仮に症状があったとしても、コミュニティがしっかりとしていて、親和力があれば、問題はあったとしても、生きる喜びは生まれるのだろう。
 当事者や周囲が、第三者の手を借りたほうがいい由縁か。

 長く生きていれば、脳をはじめとした内臓も朽ちていく。
 認知症をはじめ、がんなど、起こってくるのだ。

 そのとき、自然と手が伸びる関係があれば、仮に症状にしろ、難病にしろ、あったとしても、少しは過ごしやすくなるのだろう。
 今も、いや、今こそ求められているのだった。

 とはいえ、政権与党をはじめ、野党には期待などにも、できない。
 わたしの納めている税金などたかが知れているが、それでも、「ふざけろ」と。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「平日の休日はいいなあ」】
 賃労働が休みだった。
 そこで、朝から広い公園へ。
「空いていて空気も違い、いいよなあ」

 その後、はまってしまった手巻きタバコを販売する店へ。
「市販の5分の1でいいもの、助かるよな」
 何と有機栽培の葉である。

 プールへも。
「エリートスポーツマンでも何でもないが、プールで歩くのも厭きたと言えるほどには、通ってきたよな」
 もちろん、厭きてはいない。
 むしろ、愉しさが増すばかり?

 図書館では、辺見庸氏が介護施設に通っているという文章にも出逢った。
 驚かされる。

 その他諸々、「さて、これから寛ぎの1杯でも」と。
 コロナに感染したため、夏遊びはできなかった。
 それでも、1杯を目の前にすれば、嬉しいものだ。
 佳き日々を。