深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

カミュとの対話/死を想う・60

山頂へ岩を運び終えた途端、転がり落ちていく岩との話。
死んでしまうからと言って、生きることをやめてしまう?
そうもいかないのは、今、生きてしまっているのだから。
しかも、だ。
下山は、1回だけなのだ。

▲『ご近所の富士』(写真)
ときおり訪ねる。
「これも、山だよなあ」
そう、感嘆している。

www.youtube.com【お布施の真意/今日も少しだけ】
 お布施。
 実は、したほうが礼を言うのだそうだ。
 善行をさせていただき、「ありがとうございます」というわけか。

 わたしにはまだ、できない。
 財布の事情が許されていないから、お布施自体、あちこちへできないのだった。

 だから、お礼を言えない。
 そも、それだけ、私自身、心が広いのかと。

 仮に褒められても、疑うばかりか。
 内心、「嘘、つけ」と。
 ねじれているのだろう。
 つか、もはや個人の問題ではないのだろうと。

 ともあれ、戦争に災害。
 まるで、かつての文学のテーマと同じ時代だ。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「愉しい宿題?」】
 ふと、草履の文化を想う。
 かつて、靴の文化ではなかったのである。
 草履で済んでしまえる世の中は、「悪くないのかもなあ」と。
 お布施に合っているのではないのかと、何となく感じているのだった。

 理由?
 宿題だ。
 佳き今日を。