戦争の責任。
この国にも戦犯とされた人が。
世界平和や人道の立場で初めて裁かれた国と、何で読んだか。
戦争に熱狂した民はどうなるのだろう。
死刑にされず生き延びた輩が、民を人質にした戦後史の空虚さよ。
※大国から資金を得たり、カルトと懇意にしたり。
そうした御仁が、大きな力を得ていたのである。
情けない。
【愉しみを耕す=チャリ徘徊①=/今日も少しだけ】
こんな時勢だ。
「少しは愉しいことを記したいな」と。
そう想ったものの、あまり浮かんではこなかった。
「う~ん」
が、1つ、想いついた。
すると、いくつも挙がってきたのである。
少しずつ書いていこう。
例えば、自転車。
休日。
眠っていたいが、できるだけ起き出して、時間を作る。
そうして、自転車に跨って、徘徊をするのだった。
以前は、山を目指した。
が、駅まで出向き、電車に乗らなければならない。
その点、自転車は、住まいを出て、すぐに跨ればいいだけである。
そこが、いい。
そうして、自転車道など、たとえチンタラとはいえ、走る。
それ自体、愉しい。
移動することの身体感覚が、嬉しいのだろう。
昨今、衰えを感じる脚力の、増進は無理でも、維持。
最近では、そうした意味も出てきた。
反射神経の衰えなども、痛感している。
Uターンも含め、あきらかに下手になった。
「やべっ」というときがある。
そのため、用意周到になったか。
これは、いい変化である。
そうして、変化はまだ、ある。
おっさんに抜かれても、気にならないようになりつつあるのだった。
何せ、子どもには大いに譲るほどだ。
どうか、今日も、ご無事で。
(以下、明日に続く)
【追記/「チンタラかあ」】
夕方前。
「ええい、ままよ」
雨の予報もあったが、自転車に跨った。
目指すは近隣の公園の森。
到着後、雨模様。
が、木々のおかげで、さほど濡れなくて済んだ。
帰路は、できるだけ濡れないコースを選ぶ。
要は、木々の道を走るということだ。
何とか凌げたか。
佳き今日を。