達観までいかなくていい。
ただ、「ダメでもともと」とは肝に銘じたい。
それさえ、なかなかに難しいのだが。
とはいえ、人はいずれ死ぬのだから、安全・安泰・安楽でいきたいではないか。
どれもこれも難解だ。
※未分化はついに分からないが、難解はしっかり読めばいつか分かる。
そう、10代のころに知った。
暮らしと人の生命。
難解な問題であって欲しい。
www.youtube.com【家電哀歌/今日も少しだけ】
家電。
もはや、暮らしになくてはならないものになっている。
洗濯機に掃除機、あるいは冷蔵庫等々。
いくつも挙げられる。
パソコンもまた、必需品になっている家庭が多いのだろう。
もし壊れたりしたら、大変とは言える。
ふと想う。
「失われたものも多いよな」と。
例えば、洗濯が井戸水を汲み上げ、共同でするものではなくなり、直接的なコミュニケーションは遠のいた。
冬場を考えれば、洗濯機を利用したほうが、はるかにいいのだったが。
「ただなあ」と。
家事全般が何だか義務化され、面白みは消えたのかも知れない。
大昔、丸めた新聞ガミに水分を含ませ、そこらにまいて、掃除をした記憶がある^^。
冷蔵庫と胃袋の関係、空調機器と身体感覚、あるいはパソコンと直接的なコミュニケーション等々、記しておきたいことがある。
が、今は先を急ぐ。
家事労働の大変さからの解放は、いいことだと想う。
問題は、そこから先の今の在り様だ。
解放され、何か善きことは始まったのかと。
家電の奴隷と言えば大袈裟だが、何のための家電だったのだろうと、ふと体感しているのだった。
忙しさの質や大変さ、反健康性。
そこが、決定的に変わってしまったのだろう。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「さてっと」】
賃労働から帰宅。
寝入ってしまっていた。
佳き日々を。