同じ言葉を繰り返し使っていくと、意味は変化していく。
「やばい」が、肯定的に使われていると知ったときは、「へえっ」と。
気づけば、薄暗い場所にいる可能性もあるのだろう。
流行語や俗語、あるいは外来語も無視できない。
今・ここで立っていたい。

車のようなものが見えた。
そばに寄ると、草刈りの後、草を収納する車のようである。
「欲しいな」
久しぶりに、「欲しいな」と想ったことに、自分で驚く。
ゴーカートの大型版のようであった。
荷台に必要なものを積み込み、のろくウロウロしたくなっていたのである。
www.youtube.com▲いいなあ。
観客が身心で愉しんでいる。
そのことが伝わって来るあたりが、「いいなあ」と。
【医療・看護、あるいは介護の連携/今日も少しだけ】
最近、感じた。
医療と看護、介護がマジ、連携していかないと、「やばいよな」と。
例えば、高齢者は、食事をできなくなっていく。
身体が、死への準備をしているときもだ。
そうした折、病気がないと分かったとして、無理して食べさせることはどうなのかと。
判断は、難しい。
家族は一瞬でも長く生きて欲しいと想うからだ。
あ、今は、そうでもないケースもあるのかあ?
ともあれ、まずは、家族が看取る準備をしたほうがいいのだろう。
自宅が無理なら、適した病院やプチ・ホスピスのような施設への移転。
看護・介護でなら、やはり看取りもできる施設へ。
すべきこと、せざるを得ないことは、てんこ盛りだろう。
当事者が必死の身心で、「わたしは、どうなるの?」と聴いてくることもある。
以前、言われたことがあったのだった。
「えっ、何なのよ」と、後で考えれば、オカマ気分だったことを想い出す。
いずれにせよ、人の生死に関わる事態のとき、簡単・安易には判断できない。
とはいえ、突然、判断を迫られたり、判断せざるを得ないときは多くあるのだったが。
いっそ、簡単・安易に判断できるようになった、そのとき。
人類の叡智が実った領域も発生している?
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
「どうすべえかな」
腰を痛めていたので整形外科へ行くべきか。
あるいは、100円ヨーガ教室?
もしくは、と。
結局、100円ヨーガ教室の瞑想を選んだのだった。
佳き日々を。