今や人の多くは病院で生まれ、死ぬ。
事実、助産院は見かけず、7割前後が病院で亡くなるとか。
入口と出口とがそうならば、人は病人?
暮らしている間、ホスピスにいるとでも…。
今は病気もなく生きているが。

今どき珍しいのだろう。
本を読む人。
それも、冬の屋外で。
「いいぞいいぞ」
www.youtube.com▲いいなと。
大昔、学園祭でバンドを組んで出たときのことだ。
ギターの高橋君が、オリジナル曲を、この唄のイントロで始めてくれた記憶がある。
♪堕ちることを望むより
堕ち切ることのほうが
どれだけマシかしれやしない~っ
今はもう、歌えるわけもないか^^。
堕ちるばかりの高齢者だもの。
【忘れるばかり/今日も少しだけ】
物忘れが進んでいる。
例えば、映画を観ていて、「あっ、これ、観たことがあるな」と、途中で気づくことがあるのだった。
本も、同様か。
「あれ?
これ、読んだことがあるよな」
とにかく、どんどん忘れていくのだったが。
どうしたものか。
過日、noteに記していた文章を、何となく読んだ。
こうした文章である。
「時代がどれほど新しくなっても、1つひとつの内臓の位置や、役割、仕事ぶりなどが、変わるわけではない。
ふと、呟く。
自分の中に立ち上がってくる他者何人と出逢えるだろうかと。
それこそが豊かさの指標。
他者とはまったく違う1つひとつの呼吸のことだ。
長生きは長息。
年齢ではないし、ましてや、寿命でもない。
息が意気で粋なら、いいのだが。
かくして、現実にはあり得ないことでも、言葉で表せば感じることができる。
だから、記しておこう。
望みは、自由から解放され、解放からも自由な暮らしと。」
まったく忘れていたのだった。
自分が一生懸命記した文章でさえ、忘れているのだから、映画や本等々の内容を忘れても、当然なのだろう。
SNSをはじめ、数多くのメディアで出逢う内容等々もまた、忘れていくばかりなのだ。
だから、と。
だから、今後は開かれつつも、あくまでも自分にふいにやって来る言葉を主軸に置いた暮らしへと向かうしかないのだろう。
当たり前か。
身体丸ごと、乗っ取られていたのでは、あまりにも哀れだ。
どうせ忘れるにしろ、自分に依拠していくしかないのだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
整腸薬を飲む。
翌日、しっかりと排便できた。
「下剤よりいいよな」
佳き日々を。