お金の亡者――。
よく分からないというのも、そもそもお金に縁がないからだ。
しかも、死は避けられそうな今月だからである。
お金に執着しない感覚のほうが、亡者になる毎日よりも、はるかに強いと言えそうだ?
www.youtube.com▲一聴、惹かれた。
巧いことは、巧いのだろう。
が、そうしたことを感じさせない唄があった。
【本の中の文章を読む/今日も少しだけ】
図書館で、『闘いとエロス』森崎和江・著(月曜社)を借りてきた。
1970(昭和45)年に上梓された書籍の新装版か。
getsuyosha.jp 森崎氏への関心があらためて芽生えてきているそうだが、借りてきた理由は1点。
森崎氏は書かないだろうと思われていた谷川雁氏への追悼文が、何と掲載されていたのだ。
早速、公園で一読。
最後の言葉に度肝を抜かれ、実に何とも、感銘を浮けていた。
再読、「苦しくても、また読むか」と。
うむ。
老いへの過程で、闘いのエロス・エロスの闘いは続き、切なる想いがマキビシのように、確かにばらまかれていたのだった。
「お、おれは、ど、どうするのか?」と。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
賃労働の顧客。
問題が生じたときは、相手を否定せず、話をよく聴いて、共に考えていく方向性がいいという。
公式なのだろう。
が、現実は、そう巧くは進まない。
厄介なものなのだ。
痛感していた。
自分の勉強不足や能力不足、何より経験不足を。
ストレスはたまる一方だ。
的確に散らし、また向かっていくしかないのだった。
佳き日々を。